Cure of GAS

Castle Rock Photography

写真やカメラにまつわる話を淡々としていきます。

なぜフィルムで撮るのか(2018年末考察記)

デジタルカメラ全盛期(というか成熟期)においてフィルムで撮っていると時々自問自答することがある。なぜわざわざこんな面倒な作業で写真を撮るのだろう。フィルムでないとならない理由は1つもないし、デジタルだろうがフィルムだろうが結局はデータ(フィルムはスキャン)として取り込んでしまえば一緒ではないか、と。実際にフィルムはめんどくさい。撮影準備や撮影後の心理的な負担(前回の事件のようにきちんと写っていないかもしれない)そして金銭的な負担などなど。

Tokyo, Ueno

フィルム写真(カメラ)の楽しさはwebを検索すればかなりの数がヒットする。写真に味がある、レトロ回帰、写真を撮っている気がする、(女の子、もしくは男の子に)モテるなど、色々ある。

Ektachrome E100

どれも間違っていないし(モテるかは微妙だが)、そもそも正解などないのだろうけど、個人的にはこれらは(無理やりなこじつけを了承していただければ)デジタルカメラでも可能なことではある。 レトロな味やフィルムグレインはレタッチで表現可能だし、マニュアルモードで、かつライカM-DやPixii Camera (A1112)のように背面モニターを無くしたもの(もしくは見ない)ならばフィルムカメラに似た緊張感は味わえるだろう。

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Pentax asahi sp/ pentacon 50/1.8 ilford hp5

アインシュタインの言葉にこういうのがある。

It would be possible to describe everything scientifically, but it would make no sense; it would be without meaning, as if you described a Beethoven symphony as a variation of wave pressure.

全ての物事を科学的に分析することは可能だろう。しかしそれは全く馬鹿げている。まるでベートーベンの交響曲(シンフォニー)を波圧の変化で説明するほどに無意味なことだ。

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Pentax asahi sp/ pentacon 50/1.8 ilford hp5

私にとってフィルム撮影の楽しさは、例えば山の頂上を目指すのになぜヘリコプターではなくて徒歩で登るのか、目的地まで行くのになぜ車ではなくて自転車で行くのか、に似ている。

要するに目的よりも行為そのものに楽しみを見出している気がする。よって、たとえ被写体がペットボトル(もちろん開放F1.4で撮影)であってもデジカメで瞬時にデータ化されたものと、現像、停止、定着、乾燥という過程を経たものではやはり異なる。

もちろん自家現像しなくても楽しさに変わりはない。お店に現像出しをして受け取るまでの時間はなぜか楽しい。数時間もしくは数日待ってようやくネガの入った袋を受け取り、カバンにつめて家路を急ぎ、食事もそこそこにライトボックスと安物のルーペでピントや粒状感を確認する。そのままスキャンすることも多いが、重い腰を上げて現像ルームで印画紙に焼き付けることもある。 正直うまく説明できないが、楽しいからフィルムで撮る。少なくとも現状はこれが私自身への問いかけへの答えである。

One morning

2018年 大晦日 自宅にて(良いお年をお迎えください)