Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

ストリートフォトについて思う事

ストリートフォトを定義するのは非常に難しいが、色々調べると基本的にはヒトと人工物の組み合わせが写っている写真をそう呼ぶらしい。

ただし人といっても自分の家族や友人ではダメで(それらはポートレートや記念のスナップ写真になる)、全く赤の他人、しかも表情から喜怒哀楽が感じられるもの、つまりできるだけエモーショナルなものがより高く評価される。

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Scotland

もちろん後ろ姿でも構わないが、いわゆる"背中で語る"写真は相当にレベルが高いだろう。私には撮れそうにない。

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Scotland

そもそも私はストリートフォトはほとんど撮らない。もちろんライカユーザーなので興味がないわけではない。かつての巨匠、ブレッソンやアーウィットなどのストリートフォトを見て心を打たれ、よしいつかは自分も、と思ったことは何度もある。

しかし現実的な話としてこのご時世、人様の顔を被写体に無断で撮影すること、またそれを発表することはかなりの覚悟(裁判沙汰になったとしても上手く切り抜けられる)が必要となり、そもそもほとんどの出版社やWebサイトは少なくとも建前上では被写体の許可なしにそれらを掲載することを禁じている。後ろ姿は問題ないが、横顔は微妙との話も聞いたことがある。街並みを撮っていたらたまたま人が写り込んでいたという解釈もありだろう。何れにしても撮られた写真に作品性、芸術性がありそれを説明できれば被写体(撮られた人)も納得するとは思う。

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後ろ姿なら問題ない

しかしまあ、正直な話、極度の緊張や危険を強いられてまで人様を撮りたいとも思わない。

数年前1人旅でパリを訪れた時、夕暮れ時に何気なく街並みの写真を撮っていたら100 m先にたむろしてた集団のうち1人が急に何やら叫び、こちらへ向かって来た事があった。

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この後、左側から男が現れこっちへ向かって来た

もちろん彼らを被写体として撮ったわけではない。普通の観光客と同じようにパリの美しい街並みを撮影していただけに、かなりびっくりしてしまった。旅先で、おそらく移民の人達だろう、言葉も通じぬ相手(通じたとしてもわかってくれなさそう)にトラブルは御免なので、EOS 5D MK IIとDistagon 35mm F1.4を片手に猛ダッシュで逃げた。後で知ったのだが、撮影していた地域はパリ10区で、治安でいうとまあまあ注意〜観光客は特に注意レベルの地区だったらしい。

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NYC

ニューヨークでは夜に地下鉄内で写真を撮ろうとしていたらドレッドヘアの190 cmはあろうアフリカン・アメリカンが近づいてきて ” Get out ! F**kin’ Chinese ! (どけよ、ク○中国人!” と叫ばれたこともある。 そもそも私は日本人なのだが、そんなことより当時HipHop が好きだったのでリアルなスラングが聞けた事を嬉しく思い、本当にこんな事言うんだ、とやけに感心したのを覚えている。

Central Park, NY

スコットランドで駅構内の写真を撮っていたら警備員に「なんでお前は構内の写真ばかり撮っているんだ?もちろん個人利用だろうな?」と注意された。

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Scotland

 

日本人は、特に女性は自分の素の顔の写真を撮られたいとは思わないだろう。顔をツルツルに、宇宙人みたいに修正してくれるアプリが日本で流行るのもそのためかもしれない。外国では人々は写真を撮られるのがそれほど嫌ではないらしいが、やはりそこは多民族国家。色々なバックグラウンドがあり、ひょっとしたらインターポールにお世話になっている者もいるだろう。パリで追いかけてきた彼も、怒鳴ってきた大男もひょっとして辛い過去を抱えているのかもしれない。

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LONDON

先日ふと見上げると青空がとても綺麗だったのでローライにモノクロフィルムを詰めて撮影に出かけた。三脚を使って落ち着いて構図を練る。ブライトスクリーンに交換したてのファインダーから覗く世界は大変美しい。鳥が羽ばたくと同時にシャッターを切る。心は大変落ち着いている。

A watchtower

ストリートフォトは見るのは好きだけれど、やはり自分は風景・静物を撮るのが好きなのかも。

皆さんはどうですか。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>追記

私自身は写真を撮られる(被写体にされる)のが好きかどうかと尋ねられると、やはり状況と相手(撮影者)によると答えるだろう。疲れている顔、アンハッピーな顔、アングリーな顔、それらはどれも撮影者にとっては魅力的に写るかもしれないが(私の顔にそんな価値があるとは思えないが)、それがある種の芸術性を帯びない限りは、気持ち的にはNOである。

また撮影者も、例えば故木村伊兵衛氏に被写体に選ばれたのなら喜んで身を差し出すだろうし、その他、プロアマ問わずその撮影者の作品が素晴らしいと思ったのならYESである。

先日東京散歩がてら写真を撮っていると長い望遠レンズを持った若い男性と出くわした。皆さんもご経験があると思うが、言葉をかけるわけではないにしても、こういうシチュエーションでは往々にして被写体がややかぶる事が多々ある。とりあえず私が写真を撮ろうとすると、その背後から目線(正確にはレンズ目線)を感じた。それで邪魔かなと思い撮影をやめて横に避けると彼も撮影をやめた。撮らないのかな、と思い再び被写体のライン上に立つと、彼もカメラを構えるではないか。自意識過剰な10代女子のようで申し訳ないが、私の後ろ姿が被写体にされている、と感じて正直嫌な気になった。それでそそくさとその場を立ち去った。あの時一言 "カメラを構える後ろ姿を撮らせてもらえませんか?”と言ってくれれば喜んでOKサインを出しただろう。しかし現実的に声かけが難しいことは私自身よく分かっている。

まあ少なくとも被写体に悟られずに撮影する技術は身につけたほうがいいだろうし、こういう時はおどおどせずにドッシリと構えて1枚だけ撮るべきである。

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パリの中華料理屋にて

もちろん、私も修行中です。

 

coalfishsholco.hatenablog.jp

 

ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集

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Personal Exposures

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