「〇〇さん、写真撮ってるんでスよね、これってどう思いまスか?」
職場の男の子(といっても十分に成人だけれど、私からすれば20代は男の子に見える)、がそういってスマホの画面を見せてきた。 写っていたのは例のアレである。現状公式では削除されているためここではURL等は載せないが、X100Vのプロモーションビデオで写真家の鈴木氏がストリートフォトを機敏に撮っている動画だった。
以前書いたように私はストリートフォトを撮らない。撮りたいという気持ちはあるが、上野のアメ横で魚屋の店主がハチマキを巻いて一生懸命マグロを捌いている、いわゆる暗黙のパブリック可写真程度が限界で、知らない人の喜怒哀楽を正面から写すなど頼まれてもできない。
誰にも真似できないことをする事が芸術ならば鈴木氏の写真は大変に価値があるだろう。実際に氏によって撮られた写真を見てある種の感動を覚える人々が古今東西いるのは間違いのない事実であるし、芸術とは元来そういった需要で成り立っている。
実はこの問題動画が上がる前、氏のストリートスナップの動画を見たことがあった。場所は海外で、氏は軽快にすれ違う人々をスナップしていく。時に罵声を浴びせられることもある。そんなことはお構い無しに撮影を続けていく。ある意味で衝撃的な映像だった。もちろんもっとすごいのは探せば沢山あるけど。
そして、こうも思った。やろうと思えばGoProなどを胸に付けて人々に出来るだけ近づきながら街を歩き、後でキャプチャーとしてレタッチでもすれば一定の取れ高はあるだろう。しかしそれでは被写体本人が撮られた事に気がつかないため、いわば盗撮になってしまう。
それよりもあえて正面からカメラを構えることで被写体にされた人は明らかに撮られた事に気づく、そしてその行為後に異議を唱える時間的余地がある。もちろん沈黙は承諾とみなすとは思わない。ただ、隠し撮りよりはまだマシ、というだけである。
要するにこのジャンルの写真を成り立たせるためには現状、鈴木氏のような撮り方しか方法がないのではないか、それ以外の方法では、例えば300mmのレンズでビルの上から渋谷交差点を狙えばいくらでも類似の写真は撮れるが、やはり本人が気づいてないため盗撮になってしまう。
今回の動画の最大の問題点は一般受けしない内容を一般向けに公開した事だろうと思う。個人的には氏の撮影過程はずっとブラックボックス内で、作品のみを公開すれば良かったのではと思う。こんな事で氏が心無い批判に晒されるのはあまり心地よい事ではない。
なんでもそうだけれど、個人的には芸術家や有名人は舞台裏(私生活など)を公開しない事、これが人々に夢を与える偶像(アイドル)なのではと思う。
「今の時代にはそぐわない映像だね」と彼には伝えた。
《追加と訂正》
記事の中で盗撮という言葉を用いていますが、犯罪とされる行為の盗撮ではなく、あくまで辞書レベルでの盗撮という意味です。
興味があれば以下参考にして下さい。
何れにしても鈴木さんが大ダメージを食らったのは大変問題で(Twitterも削除など)、なんだか『いつでもどこでも誰でも簡単撮影』を謳う富士フィルム自らがパンドラの箱を開けてしまったような気がしています。