在宅が長引き手持ち無沙汰の日々が過ぎる。 普段やれない事をやろうとして、本を読んだり、映画を見たり。 写真も整理しないと。
この際思い切って写真断捨離もいいかもしれない。 それでデジタルとフィルム合わせて1万枚以上の写真を洗ってみる。
パッと見た感じ無意味な写真は削除する。無意味というのは、その写真があっても無くても同じと言う意味。
旅行の写真など、例えば街並みを撮ったとする。それを数ヶ月、数年後に見た時、その場の空気というか、感情がリコールされる写真は残す。いわばストーリのある写真。それ以外は無意味とする。
スコットランド東にある古城。道に迷ってしまい親切な地元の方の車に乗せてもらいたどり着いた。
明け方4時頃のロンドンSt Pancrasstation。タクシーで到着したものの、クレジットカードの運賃支払いができず、外に運転手を待たせたまま構内ATMで引き出して支払いを済ませた。信頼して待っていてくれたタクシー運転手に感謝
雨上がりのパリ。ホテルから。雲があまりにも美しくずっと見とれていた。
そうしてテンポよくMacBookのdeleteボタンを押して1週間近くかけて断捨離した結果、総数の10分の1にも満たない数の写真がコレクションとして残った。 特にデジタルは数に制限がないのでタチが悪い。うんざりするような写真が連番で残っていたりする。10分の1どころでは無くdeleteボタンを押す右手が痛くなるくらい抹消した。
フィルムも同様で、135mm36枚撮りフィルムならばおよそ3枚程度が残しておきたい写真で、ブロー二なら1枚か2枚程度。
しかしそうは言ってもフィルムの方がデジタルよりも明らかに残留率が高い。一枚一枚を構図と光を考えて露出を決めて丁寧に撮るためだ。感情と緊張感も光とともにフィルムに描かれている。
ミラノのホテル階下のバーから持ち帰ったイタリアのグラッパというお酒。あまりにもキツすぎて3口飲んで寝てしまった。これは翌朝目覚めた時の写真。コインは不明。
ヴェニスの朝焼け。今の状況を考えると二度と行けないかもしれない場所。
学生時代、よく通っていた京都にあるコーヒーハウスのチャイとドーナツ。3年前に行ったきり。マスターは今でも元気にコーヒーを煎れてるだろう。
この禍々(まがまが)しい状況が終わりを迎えたら、冷蔵庫に眠っているフィルムを思う存分使ってみたい。