少し小話。
もしかするとタイトルから、カメラやレンズを購入する衝動が抑えられない依存性疾患(英語ではGAS;Gear Acquisition Syndrome)、いわゆるカメラ・レンズ沼を想像された方もいるかもしれないが、今回は本当に沼に脚がハマって、一時はどうなることかと思った話である。
数日前、例のライカMPレンタル期間が終了するので最後に湖畔を撮影したいと思い、早起きして車で栃木県へ向かった。そういえば去年の今頃も小旅行した。
まだ日も高くない時間帯に湖に到着。ちょうど干潮時で、平時は淡水で満たされているだろう砂地が、伽石(とぎいし)のようにあらわになっており、脚部が剥き出しになった桟橋は役目を果たさないモニュメントのように湖へ向けて突き出していた。
朝霧のかかった山々は大変美しい。どのように撮影しても絵になるだろう。こういう美しい景色に出会うと毎回思うのだが、料理と同じで何事も素材が全て。機材やテクニックはそこに少し味付けできるだけで、ほとんどは素材で決まる。
撮影は順調で、冷たく湿った空気に吸い込まれるシャッターサウンドにまかせるがまま、かじかんだ右手の人差し指を動かし続けた。 やがて雲の隙間から朝日が差し込み、水面は真っ白な貝殻を撒き散らしたように輝きはじめた。朝霧を抜けた光は複雑な物理現象を経て湖畔に立つ木々を照らす。その姿が本当に神々しく、しばらく見惚れていた。
200mm級のレンズでもあればナショナルジオグラフィック並みの写真が撮れそうだが、使用レンズは35mmのみ。しょうがない。それが私にとっての被写体との適切な距離。必要なら足を動かせばよい。
もう少し近づこうと一歩踏み出した瞬間、ズボッと膝上近くまで右脚が埋まった。全く前兆がなく、つまりなんだかぬかるんでいて地面が柔らかいな、ここから先は危ないかな、など、その危険予知センサーが働く間も無く、それは起こった。
あまりに突然のことだった。まさに落とし穴状態である。 とっさのことでバランスを崩しそうになったが、日頃の体幹トレーニングのおかげかなんとか立位を保つ。しかし悪いことに足はさらに沈んでいく。とにかく引き抜かねばならない。それで右足を抜こうと対側に体重をかけた瞬間、左足も埋まった。
「これはまずいことになったんじゃないかな」と独り言を呟く。
以前、Youtubeで何気なく見ていたサバイバル動画(なぜかおすすめで出てきた)、沼地にハマった時にどうすれば良いか、を思い出した。その動画ではアマゾンの沼地に腰上まですっぽりとハマった笑顔のインストラクターが実践形式で脱出を試みていた。「沼地にハマった時はとにかく焦らないこと、冷静になること、むやみに動かさないこと」
前半はすごく同意する。しかし後半は本能的に無理だと思った。動かさなければ足が沈んでいく。それでとにかく冷静に素早く右足を引っこ抜く。体重がかかった左足も沈む前に抜く。しかし重い。泥がこんなに重いとは。体感的には片足5kg程度。土砂で家屋が簡単に潰れるのもわかる気がした。もしこれが筋力の弱い女性や高齢者なら、動かすこともできないかもしれない。 恐怖に駆られながらこの動作を繰り返して元いた場所へ戻る。なんとか硬い地面に降り立った、というよりもむしろ昇りついた。
深呼吸して、膝下にレッグウォーマーのように泥が巻きついた両足で湖畔にたたずむ。こんなの私のキャラではない。今思えば哀れな姿を写真にでも撮っておけば良かったのだが、その時はあまりに切なくて、怖くてその気が全く失せていた。
自然写真家や山岳写真家に事故はつきものと聞く。美しい風景に見惚れてしまってファインダーを覗いたまま転落などあるらしい。まさに悪魔の甘い蜜に誘われたヘンゼルとグレーテル。気をつけよう。
さすがに泥まみれでは車にすら乗れない。それで桟橋近くの細流を見つけ、横倒しになった白樺の枯れ木に腰掛けて泥まみれのデニムと足とブーツを洗った。気温は10℃。真冬ではないが冷水にさらされた裸足はみるみる赤くなっていく。靴下は完全に使い物にならない。代わりにハンカチで足を包み込む。
グラノーラバーを囓りながら小川のせせらぎに耳を傾けているとあらためて人の気配がないことに気づいた。半径300m以内に誰一人いない。完全なるソーシャル(ネイチャー)ディスタンス。
その後、寂れたパーキングで湯葉そばを食べて帰路についた。まあ楽しかった、かな。
皆さんもお気をつけ下さい。