そうか、もういないんだな。
朝早くに起き、いつものようにお湯を沸かす。コーヒー豆を挽き、トースターでパンを焼く頃、いつの間にか足元に現れてニャアと小さく鳴く。お腹が空いた合図だ。今はもうその気配だけが残っている。
ペットロスから回復するのにひと月からふた月かかるというが、大体合っていると思う。今回のことを記事にしようか迷ったが、半年前くらいにSさんの状況を伝えていたので、けじめとして書き記そうと思った。しかし落ち着いて文章にするまでに随分と時間がかかった。キーボードを打つたびに何度も涙が出てとても書けたものではなかったからだ。
もちろん完全に回復したわけではない。今思い出しても切ないことが沢山ある。
足腰が弱り切ってジャンプもできなくなり、それまで夜になると妻の隣で寝るのが大好きだったのにそれもできなくなり、数ヶ月の間独りで丸まって寝ていた。
最後を迎える2日前の深夜、唐突にベッドによじ登り、妻と私の側に寝転んだ。二人とも気配に気づいて目が覚めたが、お互いに声をころして泣いた。 愛するものの側に居たい、ただそれだけのために本当に最後の力を振り絞って側に来てくれたんだな。甘えた声で小さく鳴きながら。
旅立つ前日まで吐くこともなく、自力でトイレにも行った。気高かった。そしてその翌日の朝、早い呼吸を二回したあとで息を引き取った。折しもその日は私の誕生日だった。
妻からのラインで知らせを受け、仕事中だったが自然と涙が出て、どうにも止まらないので、そのままトイレに駆け込んだ。
帰宅して、まだ部屋中に漂っているSさんの魂を静かに感じた。特に宗教的な意味合いはないのだが、生き物の魂は、生前の姿形は違えど皆平等なんだな、となぜかその時はっきりと悟った。
小さな棺に大好きな猫草を沢山入れて草葬とし、1週間後、火葬した。
9年間という短い間だったが、子どものいない夫婦にとってはかけがえのない存在だった。楽しかった思い出しかない。そして最後まで懸命に生きた姿は、私たちに生きろ、と教えてくれるようでもあった。 当分ペットは飼えないし、写真を撮る意欲も落ちた。世界情勢も決して良いとは言えないが、それでも、
生きなきゃな、と
(最後までお読みいただきありがとうございました)