Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

iPad その魅力と忘却の彼方へ

先日、妻へiPad miniをプレゼントした。

今妻が使っているiPadは10年近く前のもので、さすがに挙動がおかしくなってきたこと、おまけにホームボタンは陥凹したまま戻らず、全く機能していなかった。

それでも節約家の彼女は「壊れるまで使う」と言い張り、うずくまったまま戻らないホームボタンの代わりのジェスチャーをすぐに身につけ(そもそも妻にこんな能力があったことに驚きだが)、器用に指を滑らせながらメールやブラウジングなど必要最低限のことをなんなくこなしていた。全く大したものだ!

とにかくそんな彼女を不憫に思い注文したわけだが、早めのクリスマスプレゼントに戸惑いながらも「ありがとう」と嬉しそうな表情を見せた。こちらこそ、これからもよろしくお願いします。

 

しかしニューモデルは本当に素晴らしい。動きは何もかも滑らかで遅延ひとつないし、特にペン入力のレスポンスも、私の知っている時代に比べ大きく進化している。

家電の10年はすごいと聞くが、確かに圧倒的な技術革新を体験できる。

自分用にも購入

実は私もかつてiPadを所有していたのだが、結局使わなくなってすぐに手放した。理由は様々だが、自宅にはMacBookがありこれで全ての作業をこなしていたため、棲み分けがうまくできなかったことは大きい。

そしてペン入力も、当時のモデルはまだお世辞にも実用的とは言い難く、そういった意味でやはりMacBookとの差別化を図れず、必要性を感じなくなってハードオフの在庫へ貢献することとなった。

ただ今回iPadの進化をみて、好奇心が湧いてきた。特に最近、というかパソコンの洗礼を受けた時以来、文字を手書きすることが極端に少なくなり、気がつけば漢字を書けない大人になっていた。iPadApple Pencilで手書き入力する習慣をつければ漢字練習にもなるし、脳にも良いかもしれない。肝心のモデルだが、出来るだけ良いものをということで奮発してiPad Pro11インチにした。

しかし1ヶ月後、10年前と同じくやはり手放すことになった。以下長文だが経緯を、自分への戒めとして書き留めておきたいと思う。

楽しい1週間

iPadが到着して最初の1週間は大変楽しく過ごせた。私が普段プライベートで行う大抵のことはiPadで出来ることがわかったし、その軽さゆえ2階の書斎から1階のリビングへの移動もシームレス、また夕食時に食卓を囲んで写真や動画を夫婦ともに笑顔で閲覧できた。幸福のあるべき姿のようなものが確かにそこにあったような気がする。

さらにApple Pencilの性能は予想を大きく上回り、「すごいな!」あるいは「Awesome!」と自然に感嘆詞がこぼれ落ちた。レスポンスも使い勝手も大変良い。ただ、問題点がなかったわけではない。ガラス面とプラスチックの摩擦音、いわゆる「コツコツ」「キュッ」という音が大変耳触りだったし、そもそも文字を書くたびにガラス面から反発される筆圧が、例えるなら幼い頃ビー玉を口に入れて噛もうとして感じた、我が身をもって経験した禁断の行為に近い嫌悪感が生じた。

しかしこれも不思議なことにしばらくすると慣れていった。他社製(エレコム)の描き心地の良いペン先に変えたのもあるかもしれないが、そのうち全てが違和感なく行えるようになった。

2週間目にはさらなる飛躍

そして2週間目に入った時には「キーボードでも入力したいな」と欲が出て、追加でMagic Keyboardを注文した。店頭でsmart folio keyboardも試したのだがタイプした時の感触とそのクールなルックスが好みでMagic Keyboardにした。シグマの大口径くらいの重量(600g級)はあるが、何事も完璧を求めてはいけない。

軽井沢にて

こうしてiPadとの新しくも奇妙な同居生活が始まった。奇妙というのは、そもそもこれまではこんなもの無くても問題なく生活できていたわけなので、どうしてもこのデバイスの役割というか立ち位置について毎日、常に考えなければならないという違和感である。 

それはあたかも秋雨が過ぎた後、マゼンタとイエローの落葉が無造作に散りばめられた軒先の石畳に突如現れた青年がコートのポケットから証明書のようなものを取り出し「私はあなたの息子です」という、洒落にならない展開(男なら一度は考えたことがあるだろう)、から始まる同居生活に似た奇怪さだろうか。

Fallen leaves

体の異変

3週間目に入った頃、やや体の違和感を感じ始めた。

仕事中でも常にダルさと眠気があり、首や肩も痛い。寒くなってきたし時期的なものかなと思っていたのだが、いつものように夕食を摂っていると妻がボソッと何かを呟いた。

「偶然かもしれないけど、あなた、iPadが届いてからずっと怠(だる)いって独り言のように言ってるわよ。おまけに寝苦しそうにしている」 

真実かどうかはわからないが、確かにそれは事実ではあった。

特に最近睡眠がよく取れていないことは認識していた。私は元々ロングスリーパーで、8時間の睡眠が必要なタイプである。iPadが届いてから特に夜更かしをしたわけではなく、就寝、起床時間は同じなのだが、いわば睡眠の質が低下している気がしたのである。

ひょっとしたらディスプレイに暴露されている時間が増えたためなのか?

それでここ2週間のiPadの使用について考えてみた。 思えば仕事中はパソコンのディスプレイを常に見続けている。時々休憩はするにしても、就労時間中の9割は大抵何かの電子ディスプレイを見つめている。もちろんこれは現在においては標準的なので特に異常とも思わないが、 問題は帰宅してからの利用時間だ。

私の生活は至ってシンプルで質素なので、帰宅してから夕食、たまにアマゾンプライムで映画、そして読書程度で、スマホやその他のディスプレイを見つめることはほとんど、特に歳をとるにつれて意識的に無くすようにしていた。若い時に比べやけに疲れるからだ。

ところがiPadが届いてからは興奮と嬉しさと、元を取るぞという気持ちで積極的に使っていた。夕食時も夕食後も、寝る前も、朝起きてからも、Apple Pencil片手につまらないものを書き連ねていた。

Magic Keyboardのトラックパッドも中々私をディスプレイから乖離させてくれなかった。指先で動くカーソルを意味もなくクルクル回してはブラウザを立ち上げ、意味もないサイトをボケッと見つめていた。

iPadが生活の一部になりかけていた

そんな行為が知らず知らずのうちに光線(ブルーライト)のオーバードーズになっていたのかもしれない。

元に戻した4週間目

4週目に入ったところでiPadの使用を全くやめてしまった。

それから2、3日すると疲れが抜けた。睡眠も依然と同じ程度回復した。夜寝る前のKindle読書も再開した。Kindleの画面は睡眠を全く妨げなかった。iPadの、ライカのズミクロンのような誠実でキレの良い迅速な反応に慣れた後では、Kindleのもっさりとした動きが目についたが、それがなんだかとても愛おしく思えてきた。

漢字の練習はキャンパスノートとゲルインクのボールペンで代替した。しかし代替したという表現もおかしい。元々はこれだったのだから。

ペン先を紙に当てる感覚がこんなに心地良いとは。インクが紙に滲む触感と色合い、文字はそれ自体がアートだと思う。そしてそれは紙とインクが融合した時にはじめて存在を顕にする。まるでフィルムを現像するかのように。

結局俺はクラシックな男なんだろうな。そんなことを思いながら再度iPadの使用について検討してみた。この先使うことがあるのかどうか。

「まだ若い学生時代なら良かったのに...」 答えは出た。 こうして1ヶ月にわたるiPad Pro11インチとの共同生活は終わりを告げた。

 

念の為、製品自体に問題はない。問題は私のライフスタイルと性格、そして年齢だ。正直、素晴らしい機器だと思う。適材適所すれば生活を一変する可能性を秘めたデバイス

少しでも一緒にいられたことに感謝。