Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

過去との決別:2023年年初挨拶にかへて

謹賀新年

世間からいえばもうおじさん中期(後期?)に入った年を迎えるにあたって、さまざまなものと決別し、そして新しい出会いを楽しんでいる。

ブーツとの別れ

写真のブーツは30代に購入したもので、10年以上定期的に履いていた。潜在意識の中にMr.bigのアルバムジャケットのイメージが刷り込まれており(ちなみにいまだにこのジャケットのブーツとハットは健在らしい)、レッドウィングやマーチンのコテコテアメカジブーツに憧れて上野で入手した。

しかしここ最近なんとなく、いわゆる中年中期らしく小綺麗な格好を意識するようになってきたことで、ファッションの傾向が変わり、このようなアメカジのワイルドなブーツを合わせづらくなってきた。客観的に鏡を見ても若い頃と違ってなぜか違和感がある。

もちろんそんなことを気にせずに好きなものを履いて着れば良いのだろうけど、好きなものと似合うものは違うとはよく言ったものである。誰もが草彅さんやキムタクになれるわけではない。

最もそれ以上に実用性としてこの重くゴツいブーツと付き合っていくのが困難になってきた。元々柔らかいクロムレザーであることと、経年変化で普通のブーツよりも柔らかいのだが、これを履いて歩き回ることができなくなった。とにかく足が痛いし、若い頃なら「いっちょう自分色に染めてみるか!」などと小指が真っ赤になっても我慢できたものの、こんな年齢になってまで耐えることはできないし、足に合わない靴を履いていると下手をすると本当に身体を悪くする。

思い出として飾っておくのも良いかと思ったが、カビが生えるのも嫌で結局手放した。リユースショップで特上うな重程度の値がついた。 しかし中古の靴にこんな値段がつくのはすごい。個人的には中古で靴を買ったことはないが、若い人達にぜひ履いてもらいたいと本心で思う。

時計との別れ

ほぼ同時期にクロノグラフのゴツい時計も手放した。

転職が決まった際に購入したもので、今にしてみればそれほど高価なものではないのだが(少なくともカメラを趣味にしているレベルの感覚では)、当時の私には大枚はたいてという感じだった。

ようやく仕事も決まったので、これから何か始まる、そんな願掛けも兼ねてのことだったが、やはりこれもオールスチールの分厚いバンドの重さやジャケットに似合わぬゴツさに耐えかねて、40代に入った頃から着用する機会がほぼなくなった。放置期間も数年にわたり、使おうと思った時に電池が切れているほどであった。

もちろんこのまま置いておくのも良い、見るたびに、まだ若かりしあの頃の決意を思い出すのも良い、しかし、結局手放した。

理由は色々ある。電池が切れた時計を放置しておくと酸化して内部機構がダメになる。かといって電池を外したまま置いておくと本当の意味で飾り物となる。まさにフィルムの入っていないカメラと同じく、少なくとも私にとっては存在意義の80%が失われたマテリアル化してしまう。

かといってこの時計を見るたびに感傷に浸れるか?若かりし頃の野心を胸にもう一度返り咲くか?

初心忘れるべからず、聞こえはいいが、個人的にはこの言葉で現状を回復できるのはごく限られた一部の人のみだと思う。50代も近くなれば己の能力や立ち位置は嫌というほどわかる。

いつまでも過去にしがみついて思い出に浸ってるよりも、過去を売り捌いて特上の鰻重を食べて明日からのヘビーワークに耐えうるスタミナをつけた方が結果はいいに決まっている。

年末、20年来の友人と食事をした。学生時代の話で盛り上がって、馬鹿な話ばかりして、ほとんど若い頃と何も変わっていなかった。しかし、二人とももはや20代ではないことは嫌でも意識させられた。あの頃には戻れない。 変わらないものと変わりゆくものとの間(はざま)で人は与えられた人生を生きていくしかない。

しかし、あえていうならば私は過去より今現在を気に入っている。それが過去と決別する最大の理由なのかも。

本年もよろしくお願いします。