昭和の正月の記憶
おおむね学童期(小学生)を通じて、私の正月は昭和そのものだった。
地元に根の生えた大家族ではなかったので派手さはなかったが、それでも年末には餅つき、年賀状作成、食材の買い出しなどを家族全員で何ひとつ不平不満、疑問に思うこともなく行った。
大晦日は街全体が文字通りひっそりと静まりかえった。 その年と翌年の寿と泰を祝い、ブリや鯛の刺身を食べた。今でも洗礼のようにグラスに小指ほど注がれた苦いビールの味をよく覚えている。夜は紅白歌合戦を祖父母と共に家族で観た。赤が勝つか白が勝つか、真剣に、時にはそこらにある棒を持って祖母は好きな曲を歌った。
深夜0時を回ると、友人達と参拝に出かけた。小学生にとって深夜の外出ほど冒険心をくすぐられるものはない。神社は白熱灯で煌々と照らされ、各地から集まった多くの人々で賑わった。賽銭は誇張抜きで宙を飛び交い、地元の不良達がわらわらと湧いて盛り場に集まる。早くから場所どりをしていたテキ屋が軒を連ね、美味しそうな粉物の匂いが小道を埋め尽くす。
深夜に帰宅して布団に入るとすぐ朝がやってくる。田舎の冬は凍えるように寒い。エアコンもヒーターもない部屋で自分の体温だけを頼りにモゾモゾと起き上がり、朝食を食べる。ストーブの上にはみかんが並べられ、香ばしい匂いがする。
元日の朝、祖父母はいつもお年玉をくれた。小学生にとっては大金で、同時にその年の予算だった。といっても買うものも、買えるものもたかが知れている。正月飾りをバンパーにつけた車が行き交う市内まで出て、中規模なデパート(当時の私にとってはテーマパークだった)でタミヤのプラモデルを買うのが何よりの楽しみだった。
正月、雪で静まり返った街ですることは何もない。こたつに入り、図鑑を開いたり、テレビでバラエティーをみたりしていた。昼はお餅を食べた。醤油に砂糖を混ぜて作っただけのシンプルなタレ。そのうちバイクのエンジン音とポストのカシャンという音が聞こえると、年賀状をとりに行く。数十メートルしか離れていない家に住んでいる同級生達からの年賀状。ほとんど毎日会っているのに手書きのイラストには何か特別な思いを感じて、しばらく机に飾る。
これが私の記憶にある昭和の正月。 あの頃は良かったか?と聞かれると、正直上手く答えられない。良いかどうかを判断するには幼すぎたこと、またそれが当たり前の行事として、なんの疑問も比較もなく過ごしていたから。
もし過去に戻れたとして、この歳であの時代の正月を経験して、それが記憶に残っていたとしたら、今頃どんな気分だろうなと考えることもある。
あの頃は良かったけど、今も良い、と思えるような正月を過ごしたい。
良いお年をお過ごしください。2025年 師走






