Cure of GAS

Castle Rock Photography

写真やカメラにまつわる話を淡々としていきます。

遠征備忘録(2)棒ノ折山にてHasselblad 500C/M

年明け早々、埼玉県飯能市にある棒ノ折山(969m)に登ってきた。前回書いためまいのリハビリも兼ねて(めまいはむしろ積極的に体などを動かした方が良いらしいので)の日帰り登山だった。今回持参したカメラはHasselblad 500C/MとPlanar C80mm F2.8(35mm換算44mm)、フィルムはEktar100とIlford Hp5+、Fujifilm Pro400H、それからGR。三脚はジッツオ。X-pro2は自宅待機。しかし困ることは1つもなかった。こういうのはなんか、複雑な気持ちである。ギアはシンプルに。

登山口近くにある温泉『さわらびの湯』には圏央道狭山日高ICを降りて下道で40分ほどで到着した。寒くて早起きができず、出発が遅れたため到着時刻は予定の1時間半遅れの午前9時半。そこから登山用の着替えなどをするが、山間の美しい街並みが気になり数枚撮影していると時刻は10時近くに。

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Hasselblad 500C/M Fuji PRO400H

ザックを背負って急ぎ足で登山口近くにある有間ダムを目指す。途中の坂道が非常にきつい。息が切れる。正月休みで相当体がなまっているようだ。名栗湖(有間ダム)に到着した頃にはもうすでに疲労。やれやれ。

早速Hasselblad 500C/Mで太陽が昇りきっていない名栗湖を数枚撮影する。山の表面に連なる樹々は太陽を背にして大きな影を落としており、湖畔にはそれに反発するかのように眩しい光がたっぷりと降り注いでいる。スイスの湖に見えなくもない。そんなことを思いながら6x6のフレームに風景を詰め込んで、切り取る。

Naguri Lake (Arima Dam)

登山口から山道に入ると空気が一変し、森と木々、そして少し湿った土の香りがした。懐かしい香り。

Forest (Bounooreyama, Saitama, Japan)

順調に歩を進め、岩山に挟まれたゴルジュ帯などを撮影する。フィルムを1ロール使い切った後、靴紐を締め直して沢を登る。確かにこれはちょっとしたアトラクションだ。ジョーンズ博士になった気持ちでグイグイと坂道を上がる。

Ravine

Stream

ペースが早すぎたのか、山頂にたどり着いた頃には疲労困憊でゼーゼーと息を切らせていた。全く情けない話である。気を落ち着けて撮影開始。ハッセルはセルフタイマーがついているので自撮りも数枚。こういうさりげないギミックは孤独な写真家には特に有難い。

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Hasselblad 500C/M Planar C80mm F2.8 Kodak Ektar100

棒ノ折山沢登りができるとあって週末は家族連れで登山渋滞ができるほど混雑するという。この日は冬場の平日とあって私以外の登山者は誰ひとり居なかった。人混みが嫌いな私には好都合だったが、不思議なことにだんだんと不安を感じ始めた。耳をすましても文明の音は聞こえてこない。時々ガサガサと藪の方で音がする。自然の雄大さに比べればヒトは本当にちっぽけで弱い存在である。ジャレド・ダイアモンド博士の言葉を借りればヒトは社会性をもつ事で人口を増やし文明を築いてきた。今右手に持つハッセルブラッドも文明が生み出した恩恵そのものである。

しかし(1月なのであり得ないが)ここで熊にでも出くわしたらハッセルブラッドを鈍器にして戦わなければならないだろう。熊に一撃を加えた瞬間、コメディドラマのワンシーンのように「ぽシュッ」と乾いた音でシャッターが切れるに違いない。熊の鬼気迫る画像をみてアマゾンのサルの自撮り画像のごとく「著作権は誰のものか」で揉めるのも面白いではないか。

copse

下りは登りと異なるルートで、河又方面へ下山したのだが、木漏れ日が照らす薄暗い雑木林は永遠に続くかと錯覚するほどで、木の根に足を取られながら下っていると不安はピークに達し、急ぎすぎて途中で右膝を痛めてしまった。 その後右足を引きずりながらなんとか下山し、お決まりの”さわらびの湯”に浸かり(平日なのでほぼ貸切状態)登山の疲れを癒しながら反省会をした。

ガーミンのGPSで結果を確認すると往復で3時間と41分。Webによると平均が5時間(休憩込み)らしいのでかなり早い。やはり他に登山者がいないためペース配分がわからなくなってしまったためだろう。さらに圧倒的な水不足。ザックの中には飲みかけの500mlのみしか入っておらず、水分不足を恐れてからつい早足になってしまった。水不足は筋痙攣と低地でも高山病を発症するらしい。実際、帰宅後猛烈に頭痛がして眠れなかったほどである。山を舐めてはいけない。大きな反省点である。

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撮影、休憩込みの時間。消費カロリーは平地計算なので、実際は2000kcal程度。

後日現像に出したネガが上がってきた。芸術作品とはいかないが、まずまず撮れている。

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棒の峰山頂にて1人筑波山を望む。Hasselblad 500C/M, Ektar 100/Gitzo+selftimer

だからフィルム写真はやめられない。

 

 

 

世界はそれでも回っている(良性発作性頭位めまい症)

本日はカメラとは関係ない話。もしこれを見ている方がいれば、いつか自分もそうなるかもしれない、その時はこのブログを思い出して欲しい。

昨年末、少し鼻風邪を引いてしまった。1週間もしないうちに軽快したので、特に気にすることもなくその日の夜はいつものようにベッドに入った。 そして明け方、なぜか天井が回っている感覚に襲われた。不思議なことに、目は閉じているのだが世界が回転している。なんというか、学生の頃、アルコールの無茶飲みで天井が回るという経験をしたが、それに近い。

起き上がってもなんともないので、最初は夢かと思った。へえ不思議な感覚だったな。それでその日は普通に仕事に行き、夕方帰宅してシャワーを浴びて夕食をとった。いつもの日常。そしてベッドに仰向けになった瞬間に激しいめまいに襲われた。

明け方と同じ感覚。本当に世界がぐるぐる回る。 うーむ。まずいことになったかもしれない。やはり夢じゃなかった。めまいはしばらく続いた後、すっと消えて無くなる。そして右に寝返りを打つと再び起こる。まあとりあえず寝よう、明日になったら治っているかもしれない。ふと伊藤潤二氏の『うずまき』という漫画を思い出した。就寝。

翌朝起きて、立ち上がった時、めまいでふらついた。壁に手をつく。しばらく歩けない。 うーむ。「終わりかな」そう思った。家族には申し訳ない。このまま脳卒中で倒れて仕事も出来なくなるかもしれない。NHK大河ドラマ西郷どん』を見すぎたせいか、「その時はいっその事...」など色々考えながら、原因を考えてみた。そうこうしているうちにめまいは治った。

変だ。もし脳血管や腫瘍が原因なら事前になんらかの前兆があるだろうし、頭痛や手足も痺れるだろう。 それに半年前の健康診断では血圧は至適(最も病気のリスクが少ない)、その他中性脂肪、メタボ、BMI、全く異常なし。血糖も正常。いわゆる全く異常のない状態(40代にしては珍しいと自負している)である。

これはチェスや将棋でいうところの全ての駒が揃っている状態でイキナリチェックメイト(脳障害)されたようなもの。ねぇ、そりゃあないっしょッ!?

とにかくWebで調べてみると、出た。全く同じ症状の病気。良性発作性頭位めまい症(BPPV)。詳しくは書かないが、耳石というものが剥がれて三半規管に潜り込んで悪さをするらしい。剥がれる原因は様々で、加齢や衝撃など。サッカー選手の澤さんが発症したのと同じ病気。頭をブンブン振り回して辺りを見回すサッカーではこの症状は辛いだろう。

調べるとめまい体操(エプリー法)というのがあるらしいので試してみる。仰向けになる体操なのでめまいが起こって大変だったが、2回ほど繰り返した後で、なんと信じられないくらいに症状が改善した。それで仕事へ向かう。しかし心配なので午後、念のため耳鼻咽喉科へ行く。

検査の結果、やはり良性発作性頭位めまい症と診断された。

「積極的に頭を動かして下さい」医師が言った。「めまいが起こる方向へむしろ積極的に」

Forest (Saitama, Japan)

その週はかなり良好な経過を辿り、回転するめまいは起こらなくなった。血の気の失せた表情の妻も血色が戻ってきた。やれやれもう治ったかと思った矢先、2週目に再発した。世界は再び回転する。

この病気は症状がぶり返すらしい。しかし悪化することはない。剥がれた耳石が細かくなり組織に吸収されれば完治。それはひと月ともふた月とも言われる。それまでは何度か頭を振ったり、めまい体操なるものを試したり。

あれからひと月近く経つが、2週目以降、世界が回転するほどのめまいは起こっていない。しかし歩いていると時折浮遊感が現れる。ふっとつま先が地面から離れふわふわ浮き上がる感じ。人混みを歩いているとやや恐怖を感じる。完治するまで気が抜けない。

 

最後に、1つだけこの病気から得たものがある。もともと健康で深刻な病気をしたことのない私だが、こういう経験をすると「人には理解してもらえない悩み」や持病を持っている人の気持ちが少しは分かった気がした。生きづらさ、というものだろうか。

そうやって人は大人(人の痛みのわかる人間)になっていくのだろう。

Afternoon

(※一応、私は自己責任のもとでエプリー法を行いましたが、実際はどちらの耳に問題があるかなどで手法が変わってくるらしいので、自己判断せず普通は病院で診断を受けたほうがいいです。)

Nikon New FM2 デビュー&レビュー in 江戸川橋

一般的にはおそらく順番が逆だとは思うのだけれど、ライカを散々使いまわした後でも、Nikon New FM2(以下FM2)はいつか使いたいと思っていたカメラである。謹賀新年、財布の口が開放F1.2となった今、良い機会だから手にしてみることにした。

Nikon New FM2

昼食にマヨネーズとマーガリンのたっぷり塗られた蒸し鶏と卵のサンドウィッチ、それから冷蔵庫にあった残りのオレンジジュースを空にした後で、コーデュラナイロンのリュックを背負って電車に乗る。都内のカメラ店をあちこち回り、FM2ボディ、そして50mmF1.4Dのレンズ、B&Wフィルムをそれぞれ現地調達する。こういう感じ、なんか良い。しかしさすが首都東京、その気(労力を惜しまなければ)になればなんでも揃う。

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a7III / FE50mmF1.8

それから適当なカフェでコーヒーを飲みながら一息つく。カメラをリュックから取り出しテーブルの上に置いてフィルムを装填する。巻き上げのため2、3度シャッターを切る。斜め向かいの席に座っていた若者がキーボードを叩く手を止めてちらりとこちらを見たが、またすぐに作業に戻ってしまった。

カメラを再びリュックに戻して読みかけの本を少しだけ読んだ。時刻は午後2時を回ったところで、窓越しに見える歩道を行き交う人々はまばら。おそらく今夜あたりからUターンラッシュが始まるのだろう。しかしこの時期、都内は人が少なくて良い。学生の頃、人類学の講義で教授が話していた言葉を思い出した。

 

「東京に住む人々の8割は地方出身者である」

 

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Nikon New FM2/50mm F1.4D/ilford Hp5+/カテドラル

店を出る前にグラス1杯の水を飲み、池袋に向かう。有楽町線に乗り換え江戸川橋で降りる。以前から行きたかった東京カテドラル。冬眠中の桜並木が連なる神田川沿いをぶらぶら歩きながら目についたものを切り取る。

 

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Nikon New FM2/50mm F1.4D/ilford Hp5+

St. Mary's Cathedral, Tokyo

FM2のレフレックスファインダーは大変見やすく、ピントの山が非常に掴みやすい。レンジファインダーとは明らかに異なる。何かで読んだことがあるが、レフシステムとレンジファインダーなら、正確に写真を撮る目的ならレフレックスが優れているらしい。妙に納得した。 そして意外に軽い。片手で持った感じが、ライカM6よりも明らかに軽い。後で調べてみたのだが、具体的はライカM6+ズミクロン 35mmでおよそ900g、FM2+50mmF1.4Dでおよそ800gで100gも軽い。これは十分に違いを体感できる。

シャッターフィーリングは少し物足りない。そしてシャッター音は決して静寂を切り裂くほどではないが、音の存在感は間違いなくある。好みの差はあるだろうけど、どちらかといえばライカのカチリ、というサウンドが街角スナップには向いているだろう。

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胸突坂/Nikon New FM2/50mm F1.4D/ilford Hp5+

日も暮れ気温が下がったところで引き上げる。フィルムカウンターは30を示していた。残り6枚は自宅に帰ってから開放1.4で猫でも撮ろう。レンジファインダーレンズに比べおよそ2倍近く被写体に寄れるので素晴らしいBokehも体験できるだろう。その前に猫がこのカメラとレンズを気に入ってくれると良いのだが。

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FM2+50mmF1.4D/最短距離にて。警戒中。

帰宅してから予定通り家族の写真を数枚撮り、試練ともいうべき冬場の自家現像を手順どおり、システマティックに乾燥まで行う。その間に再びFM2を手にとり触ってみる。

私みたいな若輩者(?)が語るのも申し訳ないのだが、よくできたカメラだと思う。レフ機とは思えないほどのコンパクトさ、物理シャッターが1/4000の驚異的な技術、誤ってカバンの中でシャッターを押されない仕組み、そして個人的に好きなセルフタイマー。露出計も、あればうれしい(概ね正確に反応しているようだ)。そして何よりシステムへの投資が大変安価である。高性能な開放F1.4クラスの大口径Nikkorのシステムを組んでも、同クオリティーのライカの十分の1から二十分の1程度の費用で完結できる。(もっとも金額的にライカと比べること自体がナンセンスだが)

 

魅力がたくさん詰まった名機。

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そうだAF50mm F1.4Dについて書くのを忘れていた。

ネガをスキャンして確認する。写真そのものの出来はおいといて、レンズそのものは、軽さ、サイズ感、大口径、プライスのバランスでは大変優秀だと思う。それどころか、ライカのレンズ群を使った経験からすると只々「ありえない」の一言。そして無尽蔵にある優秀なFマウントのレンズ群たち。

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Nikon New FM2/50mm F1.4D/ilford Hp5+

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Nikon New FM2/50mm F1.4D/ilford Hp5+

 

これは、面白くなりそうだ。

 

小さなジュエリーボックス- Hasselblad 500CM

ハッセルブラッドは1841年、ライカ(正確にはオプティシェス・インスティトゥート)は1849年、現在の2社の前身として光学産業に参入した。 その後、(異論はあるにしても)、コンシューマー向けのライカM3は1954年、ハッセルブラッド500Cは1957年に誕生した。これらは特にフィルムカメラに興味を持つ方なら間違いなく一生に一度は触ってみたいと思うカメラだろう。 私も多分にもれずそんなミーハーなひとりである。今更ながら触る機会があったので簡単なレビュー。

中判はこれまでプラウベルに始まり、ローライ、マミヤ、ブロニカとそこそこ触ってきた。どれも個性的で甲乙つけがたい。しかし今回ハッセルブラッド を実際に触ってみると、なるほどといった感覚だった。

Hasselblad 500CM

これは確かに他のカメラとは違う。 なんというか、サイズ感や重さが手の中でしっくりと収まり、またギミックというのだろうか、細部の作りが大変メカニカルで扱うたびに居心地の良さを感じる。 繊細な機器だが高級腕時計のように慎重な扱いは必要ない。1962年、宇宙にまで持っていったという記録はこのカメラの実用性を保証するものであるし、触ってみれば決してヤワではないことがすぐに理解できるだろう。まさに大切な撮像を守るジュエリーボックス。

慎重な扱いは必要ないが、動作についてはいくつかのルールがある。そしてルール違反は罰金として多額の修理費を払う羽目になる。まあとにかく常にシャッターチャージをしていれば問題が起こるリスクを減らすことはできるだろう。

この時代、私はまだ学ランの裏ボタンを選んだり、昇り竜の絵柄の長財布を物色していた中学生だったので詳しくはわからないが、80年代から90年代にかけて、このカメラはおよそ100万前後で取引されていたらしい。駆け出しのカメラマンが一生を背負う覚悟でローンを組んでいたとのこと。それが現在は数10万で手にすることができる。しかもコレクションではなく、実用品として。これはフィルムカメラが好きな人には幸運以外何ものでもないだろう。

機会があれば是非。2019年 正月

 

 

 

 

なぜフィルムで撮るのか(2018年末考察記)

デジタルカメラ全盛期(というか成熟期)においてフィルムで撮っていると時々自問自答することがある。なぜわざわざこんな面倒な作業で写真を撮るのだろう。フィルムでないとならない理由は1つもないし、デジタルだろうがフィルムだろうが結局はデータ(フィルムはスキャン)として取り込んでしまえば一緒ではないか、と。実際にフィルムはめんどくさい。撮影準備や撮影後の心理的な負担(前回の事件のようにきちんと写っていないかもしれない)そして金銭的な負担などなど。

Tokyo, Ueno

フィルム写真(カメラ)の楽しさはwebを検索すればかなりの数がヒットする。写真に味がある、レトロ回帰、写真を撮っている気がする、(女の子、もしくは男の子に)モテるなど、色々ある。

Ektachrome E100

どれも間違っていないし(モテるかは微妙だが)、そもそも正解などないのだろうけど、個人的にはこれらは(無理やりなこじつけを了承していただければ)デジタルカメラでも可能なことではある。 レトロな味やフィルムグレインはレタッチで表現可能だし、マニュアルモードで、かつライカM-DやPixii Camera (A1112)のように背面モニターを無くしたもの(もしくは見ない)ならばフィルムカメラに似た緊張感は味わえるだろう。

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Pentax asahi sp/ pentacon 50/1.8 ilford hp5

アインシュタインの言葉にこういうのがある。

It would be possible to describe everything scientifically, but it would make no sense; it would be without meaning, as if you described a Beethoven symphony as a variation of wave pressure.

全ての物事を科学的に分析することは可能だろう。しかしそれは全く馬鹿げている。まるでベートーベンの交響曲(シンフォニー)を波圧の変化で説明するほどに無意味なことだ。

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Pentax asahi sp/ pentacon 50/1.8 ilford hp5

私にとってフィルム撮影の楽しさは、例えば山の頂上を目指すのになぜヘリコプターではなくて徒歩で登るのか、目的地まで行くのになぜ車ではなくて自転車で行くのか、に似ている。

要するに目的よりも行為そのものに楽しみを見出している気がする。よって、たとえ被写体がペットボトル(もちろん開放F1.4で撮影)であってもデジカメで瞬時にデータ化されたものと、現像、停止、定着、乾燥という過程を経たものではやはり異なる。

もちろん自家現像しなくても楽しさに変わりはない。お店に現像出しをして受け取るまでの時間はなぜか楽しい。数時間もしくは数日待ってようやくネガの入った袋を受け取り、カバンにつめて家路を急ぎ、食事もそこそこにライトボックスと安物のルーペでピントや粒状感を確認する。そのままスキャンすることも多いが、重い腰を上げて現像ルームで印画紙に焼き付けることもある。 正直うまく説明できないが、楽しいからフィルムで撮る。少なくとも現状はこれが私自身への問いかけへの答えである。

One morning

2018年 大晦日 自宅にて(良いお年をお迎えください)

 

 

心のフィルムに焼き付けて(失敗備忘録)

先日古い友人に会うために都内に向かった。久々の再会で、まあ年末でもあるし、近況報告もということで2人だけの同窓会(そもそも私にはほとんど友人がいない)。

最初カメラ無しで出かける準備をしていたのだが、棚の隅にあったペンタックスがPentacon 50/1.8越しに落ち着かない様子で私を見ている。まあこれ持っていくか、ということでカバンにほうりこんで出発した。

Pentacon 50/1.8

途中で家電量販店に寄って135フィルムを購入する。本当はポートラがいいのだけれど、店出しでは早くても4日ぐらいかかるためFujifilm pro400Hにした。これなら最短1時間で現像できる。

友人と会って中華料理を食べながらたわいもない話をする。今度仕事で外国へ赴任するらしい。うらやましいけど頑張って欲しい。 その後、10代の女の子のように写真の撮り合いをした。お互いある程度フィルムカメラの使用経験があるのでカメラの取り扱いにトラブルはない。露出を合わせ、シャッターを切る。ミラーの落ちる爆音とともに空間が切り取られる。考えてみれば私自身のポートレートはほとんどない。いい機会だ。ポーズを決めてみよう。

その後友人と別れて駅のホームでフィルムの巻き戻しをする。しかしここで非常に違和感を感じた。クランクを3回ほど回したところでグッとした手応え、それからスルッと外れる感じがした。グッとした手応えが早すぎる。普通はぐるぐると最低20回ぐらい回して、フィルムの引っ掛かりが取れる手応えを感じるのに。

ダメかもしれない。そう思った。フィルムが送られていなかった可能性が高い。そういえばフィルム巻き上げ時にクランクが連動して回っていなかったような気もする。しかしフィルムのベロがヤドカリのように文字通り”引っ込められた後”ではどうしようもない。とりあえずカメラ屋に現像を出した。事前に事情を説明して、撮れていたらプリントもお願いすることにした。

Film of the heart

予想通りの結果となった。全く何も写っていない。嘆くより笑いがこみ上げてきた。つまりフィルムが入っていないも同然のカメラを40代のオッさんがティーンエージャーのように二人でキャーキャーとはしゃぎながら撮り合いをしていたわけだ。その姿は仕事から解放された浮れ気分のビジネスパーソンが遊歩する年末の都心にあっても大変シュールだったろう。

やはりフィルムは手強い。デジカメならSDカードが入っていない状態に近いが、これはスイッチを入れた瞬間にわかるため対処ができる。その気になればコンビニでもSDカードが買えるだろう。まさか今回のように撮影終了後になって「SDカードが入ってねーじゃんッ」ということは普通は考えられない。

 

今回は非常に残念ではあったが、友人の笑顔やその場の光景は不思議と脳裏に焼き付いている。心のフィルム、か。たまにはこういうのもいいだろう。

APS-Cについて思うこと。

先日所用ついでに六本木の富士フイルム本社で機材レンタルをしてみたところ、APS-C機について思うところがあったので備忘録。

X-pro2

コンシューマ向けの廉価でコンパクトなミラーレスフルサイズが当たり前になってきた現在、かつて高額で一部のプロにしか使われなかったフルサイズ(フルフレーム)への憧れを謳ったキャッチコピー『いつかはフルサイズ』、は近年あまり聞かれなくなったが、世間では(小さな)APS-Cは初心者向け、(大きな)フルサイズは職業的プロを含めた上級者向けのイメージが根強い。

しかし私はフルサイズはむしろ初心者がまず使うべきもので、APS-Cはある程度露出の感を身につけた者が使った方がいい結果が出やすいと考える。

APS-Cはダイナミックレンジが狭く、ポジフィルムのような丁寧な露出を心がけないと白飛び、黒つぶれが起こる。最近のモデルは高感度に強くなったと言っても実用的なISOはまだまだ低く、その分シャッター速度を下げて撮影しなければならないため自然とカメラをしっかりと構えるようになる。レンズもできるだけ開放値の低いものを選ぶようになるし、深い焦点深度のため、bokeh感を出したいのならば被写体に近づいて撮る必要も出てくるだろう。

The next stage

これらはカメラを始めた初心者には少々難易度が高い。私個人、かつて富士フィルムのカメラを何台か使用したことがあるが、当時は露出が下手で、上手く撮ることができず手放した経験がある(それからフルサイズを購入したのは言うまでもない)。

一方フルサイズだが、最近のモデルはダイナミックレンジが大変に広く、ネガフィルムと大差なくなっている。高感度にも強くISO6400は常用。つまり夜間でもSSをそこそこにしながら撮れる。焦点深度も浅く、f2程度でもBokehを十分に楽しむことができる。 統括すると、適当にシャッターを切っても見栄えの良い写真が撮れるのはAPS-Cよりもフルサイズということになる。写真を本気で勉強する必要がないのなら、とりあえず綺麗な写真を撮って思い出を残した方がいいに決まっている。

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今回はX-pro2をレンタルしたが、軍幹部で全ての露出設定ができるのが大変便利で楽しい。フィルムカメラで露出の感覚を身につけた今なら尚更である。とにかく写真を撮る行為について満足感があるし、フィルム撮影同様チャレンジしがいがある。

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結局今手元にはX-pro2といくつかのXFレンズがある。 まんまと富フイルムの販売戦術にやられてしまったわけだが、それも楽しい。さて、露出を決めて出かけることにしよう。