Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

ネット不通24時間の軌跡

先日、明け方四時半頃にネットが急に使えなくなった。

私は朝型なので、大抵いつもはそれくらいの時間に起きて読書や書斎のiMacでメールのチェック、日記などをつけている。まあいわば妻が寝ていることを良いことに自由な時間を謳歌しているわけだ。

Winter Morning Windows

その日、いつものようにRRLのお気に入りのマグカップに濃いめのコーヒーを入れてすっかり冷え切った部屋のデスク前に座りブラウザを立ち上げ一通りのルーチンをこなしていると突然ページが読み込みされなくなった。足元の電気ストーブで手を温めながらアプリの再起動など試すがやはり繋がらない。

すぐにWi-Fi機器を調べる。パネルのインジゲーターにエラーは表示されておらず、またiMacスマホともにWi-Fiへの接続は問題なくされているようだ。ちなみに私が使っているのはTP-Link社のもので、デザインと性能に大変満足している。

それではもっと先(というか手前)の問題だろうと、リビングへ行き回線業社からレンタルされた白いホームゲートウェイ(HGW)と黒いONU(Optical NetWork Unit:回線終端装置)を確認する。HGWのネットランプは赤に点灯。やはり異常だ。

ONUを確認すると通信ランプが消灯している。 すぐに二つの機器の再起動や初期化を試みる。ONUから出ている光ケーブルの抜き差しもして接続を確認、結果、改善されない。この時点で朝五時である。外はまだ暗く静まり返っている。 仕方がないので準備をして仕事へ行く。

隙間時間でサポートに電話。通信障害は起きておらず、修理は早くても翌日の午後になるということだった。依然として原因は不明だった。かくして24時間のネット不通生活が始まったわけだ。

You made my day

帰宅してからいかに自分の生活がネットに依存しているかがよくわかった。

週末の夜で、その日は家に帰ってからAmazonプライムで妻と映画を観ようと約束していたが、当然それもできない。動画閲覧もできない。いや正確にはできる。スマホの4G回線で。しかし私のライフスタイルではWi-Fiが中心となっているので、ギガプランは最安値で契約、超過分は課金になるのでそれは避けたい。よってウェブ、音楽、メール、その他ほとんど全てを使わない(使えない)状態となった。

もちろんメリットもあった。

ネット断ちという言葉があるように、インターネットとの距離感を保つのは精神衛生上とても良い。実際私は自宅に帰ってからはスマホは一切みない。ベットサイドにも置かない。ネットはもっぱら書斎におかれたiMacのみ(妻はプレゼントしたiPadがあるが)で、そういった意味でネット環境のハードルを上げている。おかげで睡眠の質は向上したし、CBDを吸い枕元で読書をしながら健康的に自然に睡魔に襲われるのを何よりも楽しみにしている。

しかしこのようなネット断ちはあくまで自由意志のもと自発的に、準備をしてから行うもので、今回のようにネットが突然不通となるという自体は”ネット断ち”というより”ネット絶たれた”という受動表現がよろしいかと思う。

まあとにかく、テレビをみても(最近のテレビ番組は本当にくだらない)仕方がないので、録画しておいた午後のロードショーや読みかけの小説(松本清張)をみて、それに飽きると妻の雑誌を一緒に観ながらあれが良いこれが良いとたわいもない話をし、猫の相手をしてから週末の夜を過ごした。そのうちネット環境については忘れてしまっていた。 

Mu

今更ながら、思えば私達70年代生まれには、これが自然だったのだ。

閉ざされた環境でいかに幸せをみつけるか、その喜びは今のネット社会と比較しても決して劣っていたものではなかったように思う。

翌日の午後、青い制服を着た作業員が来て調査し結果、自宅のONUを交換することとなった。この黒いボックスはもう14年近く休むことなく稼働していたのだ。お疲れ様。 全ての機器のランプが緑色に点灯し、ブラウザは何事もなかったようにニュースを表示していた。毎日の更新、ご苦労様です。

その日の午後、妻とともに夕食の買い出しに出かけ、イベリコ豚と焼きそばで広島風お好み焼きを作って食べた。レシピはもちろんネット検索で。

大変美味しかった。皆さんも是非どうぞ。

 

ライカに月々87,785円??

新年早々低俗な話となるが、表題、ライカを5年所有してリセールした場合の月々かかる実質金額である。

きっかけは友人からの素朴な質問

「高いライカってどんなやつ?」

Leitz Minolta CL

これはそもそも前提が狂っていてライカは全部高いので、高いライカという日本語は変、というのは実はカメラ好きさんの常識であって、カメラのことはよく知らなくてライカってなんだか高そうだけど、一体どれくらいの値段なの、相場がわからない、と考えている一般市民?はゴマンといらっしゃる

ならば、良いでしょう、新しい世界を見せてあげる、と某量販サイトで検索ライカ、ソート【高い順】でピックアップした結果が

レンズ:非球面50mm F1.2ノクチ(フード付き)
7,098,000円

ボディ:ライカMP エルメスエディション
4,380,000円

合計 11,478,000円(一千万円超えるんですね...)

これでどうだ、とばかりに友人に公開、結果は...皆さんが想像する通りである。
しかし待て待て、これで諦める必要はないよ、とリセールバリュについて説明(使い倒して売ればいいんだよーん)。

早速商品を売却カートへ変更、すると買取価格は

レンズ:非球面50mm F1.2ノクチ(フード付き)
3,230,000円

ボディ:ライカMP エルメスエディション
2,800,000円

合計は...おっと、買取3%アップのチケットを忘れるところだった...
合計買取金額 6,210,900円(うち3%チケット分180,900円)
高く売れたねー。

Leica m4-P with Summilux 35mm f1.4 asph and Rollei RPX 400

よって購入金額11,478,000円から買取金額6,210,900円を引いた差額は5,267,100円、5年後売却を想定すると60で割って、なんと月々わずか87,785円でこのセットが持てるんです! 
と、ここで友人が一言

「家のローンと同じレベルじゃん...」

そう、そこは踏み入れてはならない沼の底。 なんて。
喜劇(悲劇?)にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

買ってよかった2023年:挨拶がてら企画に乗ってみた

たまには乗ってみるか、といいつつも内心、あわよくばギフトカードが手に入るかもという期待を込めて記す。抽選じゃないので通るわけがないけど。

 

キッチン関係

以前使っていたイタリア製のピッチャーの内底がカビやすくなってきたので(おまけに食洗機非対応で洗いにくい)、買い換えた。ダブルウォールカラフェ。

選んだ基準はサイズと食洗機対応であるかどうかということ。特にサイズは重要で、リッタークラスになると大きくなり過ぎてそもそも食洗機に入らない。そして扱いづらい。食卓に1キロの飲料を置く気にはなれないし、片手だと手首を痛めそう。

これはとにかくコンパクトで容量もちょうどいい。デザインも素晴らしく、何を入れても様になる。結果大成功で幸せになれる一品。

 

デスク周り

年に数回ほど配置換えをする私の書斎。光の向きが変わると気分も変わる。しかしそんな時に気になる、というよりも制約を受けるのがいわゆる社長デスク的な使い方。

扉や部屋の中央へ向けてデスクを置くと、背面のケーブル類が悪目立ちしてしまう。そして猫様がここぞとばかりに狩にやってくる。

ワイヤーケーブルトレーはそれらを全て、瞬時に解決してくれた優れもの。ケーブルレスの世界がこんなに美しいとは。大のお気に入り。

 

美術関係

生涯に渡り質素で目立たない生活を続けたエドワード・ホッパーのイラスト集。光の捉え方が大変うまく、写真を撮る時の参考になった。イラストも古き時代のアメリカを反映していて、アメカジ好きな私には飾っておくだけで満足。

 

カメラ関係

私のブログでも紹介して、Flickrでも最近はほとんどこれ1本で撮影している。重さといい、サイズといい、描写といい、全てがパーフェクト。最近しれっと中古価格が上がってきているので要チェック。

You made my day flic.kr

最後はお馴染みのホルガ。

私にとっては最後の中判カメラといえるかもしれない。まだ半分以上フィルムが残っているので(撮影ずみの半分に何が写っているか覚えていないほど)、今年一年かけてなんとか消化したい。

 

今年もよろしくお願いします。

 

カメラと風景の旅

今年もあと数日となった。

特に感傷に浸りたかったというわけでもないが、カメラとレンズをザックにつめて中部地方の風吹く砂浜を歩いた。

You made my day

日の入りまで一時間弱といった感じで、風は強く冷たく黄昏時の闇を否応なく引き寄せていた。ジッパーを襟元まで上げたシームシールド加工されたミディアムウェイトコートの表面を砂風は諦めたように通り過ぎていく。 砂漠のような荒地には錆びた色の貝殻や丸く削られた石、そして何世紀も前からあるような乾いた大木がベンチのように置かれていた。 そのうちひとつに腰を下ろし、ひたすらに海を眺めた。

You made my day

波は畔編みのニットのように広がり、縮まり、砂浜を濃い黄土色に染めていく。 こんな詩歌のような波が私の心にも押し寄せて、全てを洗いざらい無くしてもらえればどんなにスッキリするだろう。それに応えるかのようにすっぽりと被ったフードからは、貝殻を耳に当てたようなくぐもったサウンドが鳴り響いていた。

You made my day

太陽の下縁が海と溶け合い始めた瞬間から白い季節は朱色に染まり、砂浜はサルファイエロー(硫黄色)に反射する。

You made my day

そして薄明が訪れる。脇役だった雲は地平線に沿って赤銅色に塗られていく。

You made my day

ふと後ろを見ると紫炎のグラデーションがかった空には月があった。なんの特徴もない小さな月だったが、この時はなぜか砂漠を旅する者達が願いを込めて祈り続けてきたオベリスクのように神聖なシンボルのように感じた。
レンズの冷たい鏡筒が、この世で最も自由な行いをしなさいと私に囁(ささや)いてきた。

全てのことを忘れても許されるコンマミリ秒の特別な時間が今ここにある。すっかり冷え切ったレザーグローブを外し右手でグリップを掴みファインダーを覗く。寒さでリチウム電池の減りは異常に早く、モニターのインフォメーションはまるでフィルムの最後のロールを表すかのようにレッドアラートが表示されている。

この瞬間だけは自由になれる、いつもそんな気がしていた。

24mmか35mm、いや、50mmか。絞りは、f5.6、私にとって最も贅沢で最も寛容なF値。 砂地をティンバーランドのデザートブーツで再び踏み固め、全ての電力を後幕シャッターへと注ぐ。 乾いたシャッター音は砂風と共に上空に消え去り、光の雫はレンズの光軸に沿って私の目に届く。

Desert Moon

ひとつの時間を切り取った代償にかじかんだ手をポケットに入れながら北の方角へ、そして現実世界へと歩き始める。

背後では波の音が青い闇にそっと語りかけるように、希望の讃美歌のように美しく鳴り響いていた。

You made my day

今年もお世話になりました。良いお年をお過ごしください。<2023年師走 書斎にて>

 

 

 

 

家生活の想い出

コロナ禍に撮ったフィルム写真が見つかった。

それほど古くはないが、記憶の中ではもうずいぶん昔の写真のように感じる。

フィルムはポートラ400、645サイズ。

家から出ない生活が長引く中で少しでも芸術的?なシーンを撮ろうとたどり着いたのが部屋そのものの写真。とはいえ、うちは高級住宅でもないし、ごく普通の民家。 その中でも台所は住人のセンスが最も現れるところなのでは(ほぼ嫁さんの趣味だが)、と勝手に解釈して撮り始めた。 台所の中でも特にコンロ周りは生活臭に溢れていて楽しい。 毎日使う鍋やフライパン、ポットやコーヒーカップなどなど。色もカラフルだ。無駄なものは何一つない、能のように研ぎ澄まされた美の世界。

The Kitchen

高解像度のデジタルで撮るのはプレス用としては最高に重要だけれど、フィルムで撮るとどことなく世界が絵画デッサン用のモチーフになるから不思議だ。

褪せた色とクリームのようにどこまでも伸びるハイライトトーン。ヴィンテージコットンのように優しくて着慣れたテクスチャ。 フィルムで撮ることはほぼ無くなってしまったけど、なんとかしてこの質感を表現したいと、憶い続けている。

 

 

ズームレンズ(一応大三元)レビュー

前回ズームレンズの記事を書いてから運よく入手できたEF24-70mm F2.8L II USMについて実践的レビュー

もう10年以上前のもので、おまけに超有名なレンズなので今更レビューもないのだが、記憶にあるかぎり赤リングを所有するのはEF50mm F1.2以来二度目で、特にズームレンズはこれが初めてであるということを踏まえて、いわば処女レビューといきたい。

The last drop of the vermilion

先日紅葉を撮りに那須へ行ってきたのだが(落葉ばかりだったが)、このレンズは終始つけっぱなしだった。率直な感想としては、素晴らしいとしか言いようがない。

まず操作性だが、しっかりしたトルクのあるズームリングに先端がやや広がったラッパ形状であることから左手に収まり易く、安定させやすい。

これまでずっと200g程度の単焦点ばかり使ってきたので、800gを超える重さにどれだけ自分が耐えられるかわからなかったが、結論としては意外といける、という感じだった。 というのもやはりこの安定感、鏡筒の収まりがよく手に馴染むため重さをあまり感じないというのがあるだろう。

更に手ブレしそうなシチュエーションではむしろこの重さがアドバンテージになっているためか、歩留が良いと感じた。ちなみにこのモデルはISが無いが、RFモデルはIS付きである。

cottage

もちろん全く問題がなかったわけではない。撮影後半になると明らかに疲労感が出てきた。ただ、今回のように移動は車、各シチュエーションで撮影というスタイルならばまだましで、むしろ単焦点を何本も用意して付け替えるリスクや手間を考えるとズームレンズは最も適切な選択だろう。

しかし旅行の数日前に行った東京都内での撮影では、夕方になるとカフェに入るのもめんどくさくなるほどの疲労感で、その時はレンズと自分の年齢を呪(のろ)ったものだ。

肝心の描写だが、本当に素晴らしい。 やはりこれも単焦点でばかり撮ってきた者(私)の意地悪な点なのだが、どうしてもズームレンズの描写について粗探しをしてしまう。

しかしこのレンズに限ってはアラを探すのが難しいくらい優れた描写性能で、実際のところ例えばRF24mm F1.8マクロやRF35mmのレンズと同等か、ボケの美しさでいうならばこのレンズの方が好みである。

Absolutely lovely

もちろん24-70という焦点域も大変使い易い。正直テレはもう少し欲しいなと思うこともあったが、それでも大抵のものは全て、トリミング無しで撮れる。ワイドは十分である。

Mythical world

しかしこのレンズは人気のようで中古市場ではすぐに品切れ、さらに進化したRF24-70よりも品薄となっている。

valley

まあこんな便利で描写もよく、値段も手頃なら分かる気もする。

Favorite Place

というわけで、総括ではこんな素晴らしく便利なものが世の中にあったのか、という感じで、正直もう単焦点は必要ないかな、とも思えたが、それと同時に、ディラン・トマスの詩が思い浮かんだりするのである。

『Do not go gentle into that good night(穏やかな夜に身を任せるな)』

 

 

悩ましいズームレンズ

私の撮る写真のほぼ100%が単焦点で撮られたものである。

特に自慢することでも、自分の覚悟を宣言しているわけではないし、単焦点じゃないと良い写真が撮れない、などと思っているわけでもない。

ただ自分の撮影スタイルとして単焦点が性に合っていた、ということだが、そこにはやはりライカの影響が強いのは否定はしない。

思えば某有名カメラ量販店で中古のズミクロン35mmを取り寄せて受け取りに行った際、店員さんに

「状態は良いと思います!ズームリングもスムーズに動きますので...」

と言われたことがあるし、同様に中古のズミルックス50mmの場合では、M6をカバンから出した私に、

「お手持ちのカメラにレンズを装着してファインダー像を確認されますか?」

と提案されたこともある。

両方とも可愛らしい女性店員さんだったので、「よろしくお願いします!」とこちらも大人な対応をした(カメラ店の店員としてはもう少し知識が欲しいけど許す)のだが、やはり単焦点レンジファインダーはメインストリームから外れた、ひっそりとした薄暗い森の渓流に沿って進む美しい落ち葉のようなもので、諦観するしかないのかと思ったりしたものだ。

※無論M型ライカのレンズにズームは無いし、どのようなレンズをつけてもファインダー像は変わらない

話を戻そう。

このように単焦点ユーザーの私であったのだが、最近ズームレンズを使う機会があり、単焦点にはないその利便性を強く感じる出来事が多く、少し興味を持っている。

今の勤務先にはカメラが置いてあり、そのいわゆる業務用カメラは中古のEOS 6DMKIIで、レンズは中古のタムロンのSP 28-75である。

ちなみにこのセッティングを提案したのは私で(たまたま私がカメラに詳しかったから)、会社としてもなるべく安くて性能の良いカメラとレンズをという希望があったし、さらにそもそも私はカメラ担当ではなかったので、誰が撮影担当になってもいいように利便性と二次利用を重視してズームレンズそしてフルサイズを選んだわけである。

もし私がカメラ担当になっていたら、ハッセルブラッドX2D 100C とレンズはXCD 2,5/38Vあたりをシレッと計上していただろう。 もちろん通るわけはないのだが、経理から「桁間違えてないですか??」と内線があるかと思うとニヤケが止まらないのである。ようこそ沼の世界へ!

それで、最近どういうわけか私が会社でカメラ担当となることが多く、望まずとも自然とズームレンズを使うようになったのだが、最初は非常に戸惑った。

まず画角と距離感が掴みにくい。 単焦点ならば被写体に対して立ち位置を決めてから前後移動をして構図を追い込んでいくのだが、ズームは文字通りリングをねじれば画角が変わる。

これが難しい。

要するに、自分が動くのか、リングをねじるのかの判断に戸惑うのである。

明らかに撮影距離を稼げない場所で、背中が壁に接触しており、それでも被写体を広く撮りたい時などはワイド側へねじるしかないのだが、そうでない場合は、足を動かすべきか、手を動かすべきか、それが問題で、結果として撮影がワンテンポ遅れてしまう。

それでも何度か撮影を繰り返すうちにズームレンズにも慣れてきた。そして慣れると本当に便利である。

 

まず大抵のシチュエーションで困ることがないし、そもそもレンズ交換が必要ない。思えば職業的カメラマンで、特別な企画を除いて、単焦点のみを使うのは聞いたことがない。当然といえば当然か。

そしてレンズにもよると思うのだが、想像していたよりズームレンズは画質が良い。このタムロンSPもそうである。数万円のバーゲンプライスで買えるこのレンズ。これなら十分に及第点である。

まあそんな感じでズームレンズをプライベートでも使ってみたくなったのだが、プライムレンズに慣れ過ぎているとF2.8通しと言われても、たかがF2.8?となってしまう自分がいて(しかも重くて高い!)、なかなか踏み込めない世界である。

先月旅行に行った際には24mm単焦点のみ持参して大変満足したのだが、もっと望遠が欲しいと思った瞬間は何度かあった。

The things that make me happy

うーむ、ズームレンズ、悩ましい。

ちなみに、社内で撮影を終えた後、EXIFでズームレンズの焦点距離をみると28mm/35mm/50mmが多くて思わず笑ってしまった。もちろん焦点距離は撮影中に意識していない。

単焦点で身についた画角はなかなか取れそうにない。

思えば、これまで、人生も含めて単焦点ばかりだったので、そろそろズームでもいいのかな。視野も広がりそうだし。なんて。