変わりゆく旅行の形
ウグイスの鳴き声を聞くのは何年ぶりだろう。
日本の三大避暑地に数えられるこの地では、縦笛を吸うように僅かに音程が変わる旋律の闖入にすら相好が崩れる。
駅から車を1時間ほど走らせた山奥の、河川がちょうど分岐するのが見渡せる高台にあるこの宿は、かつてある大企業の保養所として使われていたもので、築30年を超える佇まいはほのかに芳る檜の柱に支えられて朧げながらも、発展期から成熟期へと向かう日本の姿をそのまま映し出しているような、そんな時代へ遡った気分と美味しい川魚の和食が大変お気に入りでもう10年以上も毎年通っていたのだが、残念ながら外出規制の続く時期に廃業してしまった。
ところがその後すぐに、新しいオーナーカンパニーが建物を買い取り新たなホテルとして蘇らせた。その佇まいとコンセプトは完全に刷新されており以前とは別物になっていることを半分わかっていながらも、この三年間、この国で起こったこと、世界で起こったこと、やや逡巡しながらも、衰退という言葉が頭から離れず、それを払拭するかのように無理やり鞄に荷物を詰め込んで想い出の彼の地、久遠のユートピアを目指してひたすら車を走らせた。
実際に到着してみると外観は以前の宿そのものだった。なぜかほっとして館内に足を踏み入れたのだが、そこは18%グレートーンで塗り固められたブティックを思わせるような洒落た造りで、ところどころに取り付けられたセンサーや、古びた扉にはまるでそぐわないオートロックシステム、廊下に置かれたイタリア製のディフューザーは装飾ひとつなかった数寄屋造りの内装と檜の柔らかい香りを完全に過去のものとしていた。
衰退
一言居士の性格ではないが、立ち込める甘い香りとキャンプ場を思わせる直接的な夕食、ファッションホテルのような果てしなくクールで非接触な接客を目の前にして、本当にこうする必要があったのだろうか、もっと他にいい方法はなかったのだろうか、源泉から汲み上げた水を利用するのではなく、源泉そのものを変えてしまったこのホテルにとって、過去に拘泥する私はさぞ厄介者だろう。
思い出は思い出として残しておいた方が良い、何度この言葉が頭に浮かんだことだろう。そしてこれまでも、これからも。
翌朝。寝苦しいベッドで何度も目が覚めたおかげでスッキリしない。 簡単な朝食を食べた後で、そそくさと荷物を整理する。
受付には誰もおらず、決済は全てWeb上で済ましているので、鍵を置いてただ帰ればいい。
玄関を出ようとしたところで、 「〇〇さんですよね?」 とホテルのスタッフに声をかけられた。
なんとなく見覚えのある顔だった。
「私以前もここで働いていたんです」
ようやく思い出し、「ああ、どうも」と声をかけた。
彼はなぜかすまなそうに現在のホテルについて説明をしてきた。会社が変わってしまい以前のようなホスピタリティを維持できなくなったこと、圧倒的な人員不足でなおさら接客に手が回らず、最近の時流に合わせて非接触をコンセプトに運営されている、と。
「前宿からの常連さんも来られますが、やはり....馴染めない方もたくさんいらっしゃいますね」
私もかつては常連のひとりだった。
宿に到着した際に笑顔で迎えてくれるスタッフ達、重そうな荷物をさりげなく手にとる気遣い、繊細に作られた料理とその説明、チェックアウト時の何気ない会話、そんな瞬間がたまらなく好きだった。
私は団塊ジュニアの世代で、全てにおいて人のふれあいを求めているわけではない。それどころか常日頃は逆である。しかしだからこそ、特別な場所や瞬間を大切にとっておきたいという気持ちが強い。
その全てが失われた今、再び常連となることは難しいのかもしれない。
「旅館業はとにかく人手が足りず、少ない人員で回していくにはもはやこのような方法に切り替えていくしかないんです」
おそらく随分長い間接客業に身を沈めてきたであろう中年男性を目の前にして全てがオートメーション化されたホテルをイメージしてみた。窓の外では何も知らないウグイスだけが音程を巧みに変えた美しい旋律で求愛行動を続けていた。
彼の誠実さに十分すぎるホスピタリティを感じながら荷物をトランクに入れエンジンをかけた。ふと入り口を見ると彼の姿はもうどこかに消えていた。
そうか、終わったんだ。出会いと別れ。またひとつ居場所が無くなってしまったのだが、不思議と気持ちは楽になっていた。
クーラーボックス内の僅かな氷で冷やされた土産の地ビールがこの暑さでダメにならないことを祈りながら永遠に続く耕作地を抜け家路へと急いだ。