Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

高嶺の花となった海外旅行?

ふと思い立って海外旅行の航空券を調べていたら、その値段の高さに衝撃を受けた。

2019年にイタリアへ行った時と同じ時期(8月)、同じ経路で調べてみると、おおよその往復料金はなんと40万円。おまけに直行便でもロシア上空を飛べないため片道15時間程度かかる。

ちなみに2019年当時は往復20万円だった。

それでも安くはないが、いち中年サラリーマンが年に1度の贅沢で海外に行くこと、さらにいうならば絶対に減価償却されない経験と体験に20万円という金額はまあ納得はできる。

しかし昨今はどうだろうか。航空券はおよそ倍、現地の物価はかつてより激しく高騰しており、ホテル代、食事代、まあ普通に旅と食事を楽しむような休暇を過ごそうものなら1週間の概算で1人当たり60万はかかるだろう。

先ほどの、貴重な経験という対価で考えるならアリかとも思うが、如何せん小市民の私には熟考と躊躇せざるを得ない金額であることは間違いない。

もちろんオフシーズンなら金額はかなり抑えられるが、会社員の私にはその選択ははじめから不可能である。

東南アジアなど物価の安い地域に行くのならばハイシーズンでもかなり費用を抑えられるだろう。事実、その地域への日本人旅行者が現在かなり増えているらしいが、私にとって旅はその場所へ行きたいから行くのであって安いから行くのではない。

私はもう少しだけ西ヨーロッパをみて回りたい。

旅の目的

まあとにかく、現在日本から海外に旅立つにはそれなりの目的が必要になってきたかなという感じを、周りの旅行好きの友人の話を聞いても、受ける。

具体的には、若い頃のようにただぶらぶら街歩きをするためだけにこの金額は払えない、という意見が多い。

よって、例えばフェルメールの日本未公開絵画をオランダで観たい、とか、ウィーンのシェーンブルン宮殿でマリアントワネットの豪華絢爛な時代を回憶したいとか、マチュピチュで古代宇宙人説に浸りたいとか、そういった明確な目的がない限り、夏はおとなしく那須のお宿で温泉と冷酒で山菜に舌鼓を打つのが吉、という感じである。

しかし何よりも、所得基準が欧米レベルまで上がることを祈るばかりである。

イタリアの想い出

ヴェニスに到着したのは晴天で猛暑が襲う時期だった。

嫌というほど熱を帯びた石畳と上空から照りつける煌々とした太陽で想像していたような優雅な街歩きはできず、体力が尽きぬよう、サンダルが焼き石で溶けぬよう、そしてフィルムがダメにならぬよう早歩きで撮影をしたのを覚えている。

archives - Venice

Rollei35にPortra400を装填してほとんどノーファインダーで速写した。手のひらにすっぽりと収まるサイズとシルバーの鈍い光沢がなぜかこの街に似合っており、持ち歩いているだけで大変楽しかった。

archives - Venice

ポートラの発色は本当に素晴らしい。オールドテッサーの鋭くも彩度低めで柔らかさのある撮像と合わさると、いかにもフィルムらしい、想像力をかき立てる描写となっている。 

archives - Venice

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しかし今思えばこの年度は本当にフィルムフォトグラフィーには最後の、良き時代だったのかもしれない。 X線やら何やらで取り扱いには大変苦労したのだが、物質として今フィルムネガが残っていることは何よりも色褪せない確実な想い出である。

archives - Venice

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デジタルと高性能なレンズによる果てしないシャープさも良いが、やはりオールドレンズで撮られたフィルム写真はどこか捨てきれない、それはまるで幼い頃、洋菓子の箱の中に大切にしまっておいた玉虫色のセロファンが放つ純朴な光が、もう今では鍵も錆び付いてしまった心の奥底の扉を精緻(せいち)に投影しているように思われるのである。