Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

ライカで撮る意味(ライカQ3へのメッセージ)

先日、ライカQ3がローンチされた。

スペックやデモ機の紹介動画をみる限り、Q2に比べかなりアップデートされているように感じる。

そういえば私がQを手にしたのは2016年で、それが初のデジタルライカだった。恐らく、多くの人がそうであるように散々興奮してあちこち出かけては撮影していた記憶がある。

Tokyo Night

Qは当時、斬新なデザインとコンセプトのカメラで、ライカ社にとっても、どう受け入れられるかわからない一種の賭けのようなものであったらしい。

ところが実際に発売してみると予想外の反響があり、それまでライカ未経験のユーザーを含め、たくさん層から支持される結果となった。

まあ私もその一人である。

Qは決して完璧なカメラではなかった。使用するにつれて様々な不満点が湧いてきた。Qの機能は写真を撮るということについていえばユーザーフレンドリーな仕様ではなく、どちらかといえば不完全さを楽しむような趣味性の高いものだった。

しかしそれらを差し引いてでも魅力的だったのが奇跡のような銘玉ズミルックス28mm F1.7。

開放から徹底的にソフィスティケイティドされた絵は堅固で優雅な立体感を失わず、シャープであり上品な甘さもある。光の受け止め方は野生的であり、やはりそこには何か特別な説得力があるように思われる。 大袈裟にいえば、本当の美に触れる瞬間を楽しめるレンズ、かもしれない。

Kyoto City in Summer

 

Qとの別れ

そんなQを手にしてから数ヶ月の間楽しい時間を過ごしていたのだが、なんの前触れもなく私の体に異変が起きた。急性腰痛(ぎっくり腰)である。

腰椎椎間板症というヘルニアの一歩手前の症状と医師に告げられ、その日以来、腰の痛みから足を引きずるような歩き方になり、行動がかなり制限されるようになってしまった。

生まれて初めて付けるコルセットに違和感を感じながらも仕事に行く毎日。医者からは現時点で改善する方法は何一つ無いといわれ、完治するかも定かでない、もうこのまま一生この状態が続くのかと思うと不安でややノイローゼになっていた。

Reading room

もちろん状態の良い日もあったが、たまの休日に写真でも撮りに行こうと思った矢先、ズキズキと疼く腰痛に断念せざるを得なかったことも多く、悔しさと虚しさで、その頃は毎日どんよりとして落ち込んだ表情だったに違いない。実際、鏡で自分の顔をみるのが嫌だったほどだ。

今思えば『人生にひねくれた男の顔』というタイトルでライカQで肖像画でも撮っておけば良かったと思うが、そんな余裕すらその時にはなかった。

ちなみに車も買い替える羽目になった。それまで乗っていた車の座高がやや低く、乗り降りする際に腰に響くのだ。そもそも車の運転は腰に負担がかかりやすい。それでもう少し車高と座面が高い車に買い替えた。

お金は湯水のように無くなるし、もう何もかもめちゃくちゃな状況であった。

そして、もう写真を撮ることもないだろうというほぼノイローゼのような気持ちでQをはじめその他の機材をも手放した。

A sea of clouds

月日は流れ

あれから7年が経ったが、現在腰痛は完全に改善されている。日々のストレットと慎重な動作の賜物である。ストレッチボールを腸腰筋の前後のトリガーポイントへ当て体重をかけ、常に体の柔軟性を意識している。

 

イカで撮る意味

写真を撮る目的が画像を出力(または現像と印刷)して鑑賞するということならば、正直なところ意味は何もない。

私はライカについて、例えばマニアやアンチなど両極端に位置する思想のどちらにも当てはまらないが、これまで沢山のフィルムライカを扱ってきた経験上、ライカでしか撮れない写真は無いと断言できる。

Sentimental Value

しかし、写真をただの撮像データや印画物としてではなく、形而上の記憶と呼ぶべきものと捉えるなら、ライカとしか共有できない時間は間違いなくある。

事実、ライカで撮った写真を見ていると、当時の記憶が思い出として生々しくも鮮明に蘇る。家族と過ごした時間、一人で佇む街並み、空気、そして、どれをとってもその瞬間だけは何もかもが完璧に輝いており、喜びだけが残っている。

そんな過去の思い出のようなパルスの流れに集中していると、ライカを手にシャッターを切った感触までもが指先へ戻ってくる。

それは確かにそこに存在した

それは凍りつくような寒さと、空気の静(quiet)が共存している朝焼けの湖で、水面をわずかでも揺らさないほど沈黙したシャッター音をF1.4 ss1/8で聴いた感覚、スムーズなハンドリングで重さを感じさせないM型ライカと軽い足取りで桟橋を歩く触感、そんな研ぎ澄まされた鋭敏な感覚を持って世界と対峙した時にのみ起こる強烈な、人生が世界のネガへと焼き付けられる感覚、indestructibility of existence(破壊し得ない存在)の記憶といったとこだろうか。

Let go of yourself

イカは歴史を刻んでいる。間違いなくそこに存在したものの痕跡。

私はもう50歳に近く、最近知人の間でも生命の灯火が突然消えてしまった話をちらほら耳にするようになった。

センチメンタルになるにはあまりにも多くの誕生日を迎え過ぎているのは分かっているが、後何年この世界にいられるのか、そんなことを実感する歳になってきた今、趣味として大切な写真をライカと共に過ごすのも悪くない。

 

もし全ての条件が揃って、幸運にも入手できたら幸せ、だろう。なんて、大好きな紫陽花の季節に願いを込める。

皐月 最後の晩に