Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

鎌倉、東慶寺にて

昨年のお話。

尊敬する小林秀雄先生が眠る東慶寺へお墓参りを兼ねて訪問した。 東京から鎌倉へ。県は違えどそこは関東圏、電車で1時間もかからない。しかし不思議なことに駅を降りると空気が違う。 東から運ばれてくる潮を含んだやや湿った風が心地良くて、なんだか笑みが溢れてきてカバンに入れた年代物のマキナ67を意味もなく触ってみたりする。

やはり外出は良い。 秋の休日。

海岸沿いの道ではサーフボードを担ぎ真っ黒に日焼けした人々と何度もすれ違った。

End of the Summer

太陽の照りつける浜辺を散歩しているとふと東松照明氏の写真集『太陽の鉛筆』を思い出した。沖縄に暮らす人々を素直な描写で紙面に焼き付けている。カメラは確かニコンF。あれよという間にプレミア価格の付いた写真集。

新編 太陽の鉛筆

新編 太陽の鉛筆

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東慶寺に着いたのは正午すぎで、偶然なのかほとんど人がいなかった。

庭師に先生のお墓の場所を尋ね、銀杏を踏まぬように慎重に歩を進める。 石階段は見事なコケで覆われており、梅や桜の木々の間から滑り込むような光のベールがそれらに反射してあまりに美しく、しばらく見惚れていた。

小林先生のお墓は大変素朴なもので、苔に囲まれた敷地に小さな五輪塔が置かれている。先生は書籍の中で”美しさとは複雑なものではなく、もっと分かりやすく単純なものの中にある”と説かれていた。先生の最後の形をみて、やはりそう思わずにはいられなかった。

その後少し奥まで足を伸ばした。苔と木漏れ日に覆われた墓地。美と静寂の中、写真を撮ることに意味を見出せなかったが、今度いつ来られるかわからないので、墓跡を避けるようにして1枚だけ、小川の水を手で優しく汲むように、森林の木漏れ日をフィルムでそっとすくった。

One quiet day memorial

今でもこの写真を見るたびに静けさや苔の匂いを思い出す。なんの変哲もない写真だが、私にとっては大切な写真である。

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この記事を書こうと思ったのは、つい数日前に東慶寺のHPを覗くと、寺院敷地内での撮影行為は一切禁止にすると住職からの思いが綴られていた。

文章を読むと散々悩んだことがよくわかる。苦渋の決断だろう。マナーを知らない人間によって増える禁止事項。大変悲しいものである。 私も撮影側の人間なので偉そうなことは言えないが、やはり撮影枚数が決まっているフィルムは大変素晴らしいのではないか、と改めて思った。

さらに最近の異常な高騰ぶりで頻繁には撮れないため、皆が中判で12枚のみ、と決めていれば大切な場所が汚されることもないのかも。

フィルム、素晴らしいではないか。などと思いつつ、本当にフィルム、もっと安くならないものかとため息をつきながらダーマトグラフでネガに印を付ける。