Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

フィルムと、写真これからと

気がついたら2年近くまともに写真を撮っていない。

全く撮っていない訳ではないし、小旅行の写真も大切な思い出として見るたびにその時の情景が思い浮かぶ。しかし3年前、2019年を境にやはり何かが変わってしまった。

特にフィルム写真には全く手を出しておらず、昔の写真をダラダラと眺めては、フィルム写真に潜む写魂の切れ端でも見つけることができればなど考えて、時ばかりが過ぎていく。このまま歳をとるのだろうか、なんて。Rollei35で撮った2019年の上野の夕刻時の写真を見ながらのエッセイとしたい。

Tokyo Street 2019

思えばフィルムしかなかった時代、つまりデジカメの存在がなかった時代、フィルム写真について今のような気持ちがあったのだろうか。フィルムの味やフィルムのウェットプロセスが楽しいなど、そんなノスタルジックな気持ちが存在したのだろうか。 たかが20年前はフィルムで撮る写真が当たり前で、そこに潜む何か特別な写魂(taste, soul, 味)について今のように云々話題にすることはなかったように思う。

Tokyo Street 2019

ところがデジカメがカメラ市場を跋扈(ばっこ)し始め、2008年、EOS 5Dなどの実用レベルのフルサイズ機が市場を席巻する頃、棚の隅に追いやられたネガや銀紙に包まれたまま暗く冷えた冷蔵庫の奥に仕舞われたフィルム達は、その裡(うち)に秘めた純粋な魂を誰か一人でも多くの人々に届けようともがいていたのかもしれない。 そして願いは叶い、フィルムの価値が見直され、原点回帰とも言われる時代が10年近く続いた現在。

Tokyo Street 2019

フィルムは一筆で数千円にもなるラピスラズリの岩絵具と同じく受注生産レベルの希少なマテリアルになることは避けようがないだろう。

Tokyo Street 2019

先日デジカメwatchによるライカ社のインタビュー記事が掲載された。

M6発売の経緯など大変興味深く読ませていただいたが、質問の中で、今後フィルム(生産を含め)はどうなると思いますか、という問いに対して、フィルムで撮る映画がなくならない限りスチル用フィルムは生産されるだろう、など、これといった明確な答えは出てこなかった。自社で生産する予定もないらしい。 ちなみにフィルムで撮る監督で私が知っているのは『インターステラー』のクリストファー・ノーランクエンティン・タランティーノくらいしかおらず、この2名ではコダック社を動かすのは少々心細く思う。

Tokyo Street 2019

このインタビュー記事を読んでいて、この質問を見つけたとき、子どものように少しワクワクした。未だに新品でフィルムカメラをリリースする企業には必ず秘策があるはずだろう、など淡い期待を寄せていた結果が前述の通りだが、別段ショックを受けたわけでもない。 それよりむしろフィルムに関わる話題が起こる度に胸が躍るのは、ある程度真剣にフィルム写真を撮ってきたから、そして何より好きという気持ちがあるからで、そういった意味でやはり経験をしてきて良かったなと思うのである。

Tokyo Street 2019

今考えているのは撮ることよりも刷ること。

クローゼットに眠るネガの山を見ているとどうしても暗室の海で起こしてほしいと願っているように感じるのである。ウェットプロセスで印画することはネガにしかできないこと。 それが終わる頃、また撮れればいいかな。

Rollei 35 silver

Rollei 35 silver

  • ローライ
Amazon