家猫を撮るのが好きで、フィルムやカメラのテスト撮影によく猫をモデルにしている。 被写体としては優秀だし、存在そのものが絵になる。そして何より私が猫が大好きなため、いつまでも飽きない。
先日、このブログでもよくモデルになっている八割れ黒白猫が腎不全疑いとなった。実は先代猫を腎不全で亡くしており、その反省からかこの八割れ黒白猫(以下Sさん)の食事には相当気を使っていた。
Sさんはもともと野良猫で推定生後3ヶ月の頃に職場近くの駐車場で捕獲した。近くに母猫はおらず、小さい身体で独り、たくましく生きていたことになる。生存本能と生命力は強いだろう。しかし、どれだけ気をつけていても病は天災と同じく唐突にやってくる。
先代猫(Nさん)が腎不全で苦しんでいたとき、家族会議の末、獣医さんに終末期医療をお願いした。妻が大変可愛がっていた猫で、とても立ち会うことはできないということで、私一人、助手席にNさんを乗せてその場所(動物病院)へ向かった。
空は不思議なぐらい青々とした皐月晴れで、これから起こることがどうにも信じられないような穏やかな気候だった。信号待ちをするたびにケージに入れられたNさんの様子を伺う。ココア色の毛がケージからはみ出している。少し触ってみる。そんな事を繰り返していると、フロントガラスが滲んできた。もちろん雨なんか降っていない。涙が止まらないのだ。
処置が施され、Nさんは、彼女がお気に入りだったブランケットの中で静かに、本当に静かに終わりを迎えた。おそらく彼女は今でも寝ている気分なんじゃないかと思う。獣医さんに礼を言って病院を後にした。涙がどうにも止まらず、空は相変わらず滲んで見えるだけだったが、綺麗なスカイブルーに浮かぶ白い雲の端がそっと消えゆく様子をしばらく眺めていた。
私が家猫を撮る理由は、いつか撮れなくなる日が必ずくるからだ。家猫の平均寿命は14歳程度、ヒトの寿命に比べなんと短い事だろう。私にとってペットとは "飼っている" のではなく、"一緒にいてもらっている" もので、こちらがどれだけお願いしても、いつかは、それもそんなに長い期間ではなく、お別れの時がくる。
だからできるだけ、残したいと思う。できるだけ大きなフィルムや印画紙に焼き付けて、あの時、どれだけ拭っても止まることのない涙のフィルター越しにみえた青々とした空に浮かぶ雲の切れ端のように、そっと消えることのないように。
(Sさんは今はまだ元気です。輸液を嫌がるのでラプロスという比較的新しい薬で投薬治療を行なっています。できるだけ長く、一緒にいたいです。)