悪天候と自粛が重なってせっかくの休暇なのに外出が全くできない。 良い機会なのでこれを定年退職後(まだまだ先だけど)のシュミレーションなんだと思うことにしてみた。
朝はストレッチと軽い読書。日中はアイスコーヒーを飲みながら映画や音楽鑑賞。日暮れには近所の散歩。たまに庭の雑草抜き。 それから妻と一緒に料理を作る。暑さの和らいだ夕暮れの明かりで、オリーブオイルで焼き上げたチキンに塩と胡椒とマスタードをつけて食べる。チーズとトマトのサラダにレモンを絞る。あまりお酒は飲まないが、休日くらいワインが少しあってもいいだろう。 労働から解放された気ままな暮らし。なんて、少し贅沢な夢。
数日前、ふと思い立って久々にカメラを担いで近所の撮影に向かった。まだ朝陽前の比較的涼しい時間で光も柔らかい。 ずいぶん使っていない露出計、セコニックのL-558を取り出してスポット測光。普段は適当に露出オーバーでネガに焼き付けている行為を見直してみる。
シャドウの立ち上がりをどうするのか、完全に落とすのか、少しディテールを残すのかなどなどゾーンシステムの再考。それらに意識が向くと室内でも沢山のトーンがあることに気づく。まずは練習がてら一枚。
ひと気のない建造物に足を踏み入れるとなんだかそわそわする。感覚がやたらと鋭敏になる。まだ汚されていない朝の湿った空と遠くで鳴くセミの声、コンクリートの壁で囲まれたむき出しの通路に足を踏み入れると冷たい空気に反響する自分の足音が聞こえる。それらが求心性神経を通じて脳内に神経パルスを送り込む。 なんだか良くないことをしているのではないか、そんな気がしてくる。観念論者にいわせると "私がいなければ存在しない世界" の静寂を乱している罪悪感。そっとシャッターを切る。
自宅に戻りロックアイスを入れたグラスにコーヒーを注ぎアーモンドミルクを入れて飲む。もうほとんど日は昇りきっており、小窓に吊るされた橙色のインド綿の日除越しに、豊富な光はキッチン内を金色に染めている。
薬品は26度で室内温度とほぼ一致。ボトルに保冷剤を巻いて20度まで下げる。いつもの攪拌。何度も行っている作業だが、今日にあってはこうしていられることに幸せを感じる。感謝。
仕上がりは満足。何よりネガの濃度が美しい。やはりどんな時でも露出は疎かにできないな、などと自己満足の笑みを浮かべながらネガをファイルに閉じる。
多くは求めない。ただ自分が美しいと思えるその瞬間を切り取ることができれば、それを続けていければ私は幸せである。