Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

変わりゆく旅行の形

ウグイスの鳴き声を聞くのは何年ぶりだろう。

日本の三大避暑地に数えられるこの地では、縦笛を吸うように僅かに音程が変わる旋律の闖入にすら相好が崩れる。

駅から車を1時間ほど走らせた山奥の、河川がちょうど分岐するのが見渡せる高台にあるこの宿は、かつてある大企業の保養所として使われていたもので、築30年を超える佇まいはほのかに芳る檜の柱に支えられて朧げながらも、発展期から成熟期へと向かう日本の姿をそのまま映し出しているような、そんな時代へ遡った気分と美味しい川魚の和食が大変お気に入りでもう10年以上も毎年通っていたのだが、残念ながら外出規制の続く時期に廃業してしまった。

ところがその後すぐに、新しいオーナーカンパニーが建物を買い取り新たなホテルとして蘇らせた。その佇まいとコンセプトは完全に刷新されており以前とは別物になっていることを半分わかっていながらも、この三年間、この国で起こったこと、世界で起こったこと、やや逡巡しながらも、衰退という言葉が頭から離れず、それを払拭するかのように無理やり鞄に荷物を詰め込んで想い出の彼の地、久遠のユートピアを目指してひたすら車を走らせた。

実際に到着してみると外観は以前の宿そのものだった。なぜかほっとして館内に足を踏み入れたのだが、そこは18%グレートーンで塗り固められたブティックを思わせるような洒落た造りで、ところどころに取り付けられたセンサーや、古びた扉にはまるでそぐわないオートロックシステム、廊下に置かれたイタリア製のディフューザーは装飾ひとつなかった数寄屋造りの内装と檜の柔らかい香りを完全に過去のものとしていた。

衰退

一言居士の性格ではないが、立ち込める甘い香りとキャンプ場を思わせる直接的な夕食、ファッションホテルのような果てしなくクールで非接触な接客を目の前にして、本当にこうする必要があったのだろうか、もっと他にいい方法はなかったのだろうか、源泉から汲み上げた水を利用するのではなく、源泉そのものを変えてしまったこのホテルにとって、過去に拘泥する私はさぞ厄介者だろう。

思い出は思い出として残しておいた方が良い、何度この言葉が頭に浮かんだことだろう。そしてこれまでも、これからも。

翌朝。寝苦しいベッドで何度も目が覚めたおかげでスッキリしない。 簡単な朝食を食べた後で、そそくさと荷物を整理する。

受付には誰もおらず、決済は全てWeb上で済ましているので、鍵を置いてただ帰ればいい。

玄関を出ようとしたところで、 「〇〇さんですよね?」 とホテルのスタッフに声をかけられた。

なんとなく見覚えのある顔だった。

「私以前もここで働いていたんです」

ようやく思い出し、「ああ、どうも」と声をかけた。

彼はなぜかすまなそうに現在のホテルについて説明をしてきた。会社が変わってしまい以前のようなホスピタリティを維持できなくなったこと、圧倒的な人員不足でなおさら接客に手が回らず、最近の時流に合わせて非接触をコンセプトに運営されている、と。

「前宿からの常連さんも来られますが、やはり....馴染めない方もたくさんいらっしゃいますね」

私もかつては常連のひとりだった。

宿に到着した際に笑顔で迎えてくれるスタッフ達、重そうな荷物をさりげなく手にとる気遣い、繊細に作られた料理とその説明、チェックアウト時の何気ない会話、そんな瞬間がたまらなく好きだった。

私は団塊ジュニアの世代で、全てにおいて人のふれあいを求めているわけではない。それどころか常日頃は逆である。しかしだからこそ、特別な場所や瞬間を大切にとっておきたいという気持ちが強い。

その全てが失われた今、再び常連となることは難しいのかもしれない。

 「旅館業はとにかく人手が足りず、少ない人員で回していくにはもはやこのような方法に切り替えていくしかないんです」

おそらく随分長い間接客業に身を沈めてきたであろう中年男性を目の前にして全てがオートメーション化されたホテルをイメージしてみた。窓の外では何も知らないウグイスだけが音程を巧みに変えた美しい旋律で求愛行動を続けていた。

彼の誠実さに十分すぎるホスピタリティを感じながら荷物をトランクに入れエンジンをかけた。ふと入り口を見ると彼の姿はもうどこかに消えていた。

そうか、終わったんだ。出会いと別れ。またひとつ居場所が無くなってしまったのだが、不思議と気持ちは楽になっていた。

クーラーボックス内の僅かな氷で冷やされた土産の地ビールがこの暑さでダメにならないことを祈りながら永遠に続く耕作地を抜け家路へと急いだ。 

 

 

やはり苦手な50mm

50mmが苦手である。

苦手なので使わない。使わないので上手くならないし魅力を感じない。実際数でいえば、35mmに比べ3分の1程度しか写真は残っていない。

Tokyo skyscraper

それでも写真を始めた頃は50mmを積極的に使ってきた。

50mmは標準の画角として頂点に君臨しているし、広すぎず狭すぎず、まあいわゆる見たままが撮れる画角ということで、特に初心者のうちはとりあえず50mmで撮っておけば間違いないという、いわば登竜門というか試金石という立ち位置に安座していた。

物理的な制約もあった。ライカM3はご承知の通り最も広いフレームが50mmで、35mmや28mmはそもそも想定していない。 制約を受けるとそれを破りたくなるのが人間の性(さが)である、とまで大袈裟な話ではないが、あるフォトグラファーの写真が35mmで撮られたことを知ってすぐに切り替えた。

50mmから35mmへ変えた途端に広がる世界になんと感動したものか。撮れなかったものが撮れる、いわば見えなかったものが見えるようになり、満足度も高くなった。

先日、いわゆる撒き餌レンズなるものを入手した。あれほど苦手な50mmだが、自分の年齢が近くなってきた(信じているわけではないが年齢と焦点距離の関係は興味深いものである)こともあり、特に感動することもなくしばらく使用してみた。

しかしやはり50mm、使いづらい。 撮った画像をみても、普通、である。 以前も書いたのだが、この普通の中に何か特別な意味を探そうとしている自分がいて、そういう意味では特別な存在なのは間違いない。クラスで下から3番目がアイドルになる時代、審美眼を向上させねば。

50mmの利点は大口径が比較的小さく、そして安価に作れることで、浅い被写界深度を活かしてぼけを楽しむ方法もあるが、正直それならば標準の85mmか135mmの方が割り切りが良い。

旅に出るのにも、今の私には広角1本あれば十分だし、どうしてもという時は85mm程度を持参する。よってまた出番がなくなる50mm。

結局しばらくして50mmレンズは手放した。安価で入手、安価で売却。別にどおってことない。

人にはそれぞれに向いている焦点距離があり、それを見つけた人は良い写真が撮れるのだろう。

But beautiful, Tokyo Japan

ズミクロン、ズミルックス、ノクトン、プラナー、これだけ50mmの良いレンズを使ってきて、今手元に一つも残っていないのだから私は50mmから見放された、流浪者なのかも。

Leitz Minolta CL

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ミラーレスで蘇るカールツァイス | Carl Zeiss

写真を撮るのが楽しくない。

撮った写真を見るのは好きだ。しかし写真を撮る行為そのものは楽しくも何ともない。

フィルムカメラで撮っていた時は終始楽しかった。一枚一枚が光と影、または3原色のきらびやかで物憂いコンポジション、束の間の美という儚い瞬間を36×24mmの小さな枠へ懸命に包み込んでいるような緊張感とある種の達成感があった。

現在、レンズと合わせて500gにも満たないミラーレスを片手に、ほとんど作業的にシャッターを連続して切る行為にやはり虚しさを感じざるを得ない。

ふと思い立って一眼レフ時代のレンズを物色した。

思い出のZeiss群。Distagon、Planar、この分厚い鏡筒と剛性、冷たい金属の感触と被写体をミクロン単位でネイルするフォーカスリングの精度、どれもが強烈な記憶として一瞬にして蘇ってくる。

UNTITLED

そうか、これだったのか。

梶井基次郎がたった一つの檸檬によって心が彩られたように、私にとってマニュアルフォーカスで撮影するという行為がこれほど心を跳りあがらせるとは。

ミラーレスといえどマウントアダプターで大口径重量級レンズを装着した途端、Weber比の分子は分母を超えて果てしなく大きくなり、目覚めた筋細胞はそれを支えようと慌てて腕橈骨筋を膨れ上がらせる。

この重量感がなぜだか心地よい。プラスチックで軽量、写りも秀逸な最新レンズを装着しているときには感じられない、精神と肉体と実物体との融合。

Distagon 35/1.4とRF35/1.8

ミラーレスで蘇るZeiss

今回あらためてZeissレンズを使用した感想として、レフ機時代よりはるかにその潜在能力をミラーレスによって引き出されている感じを受ける。

レフ機はレフ板が仕込まれているため、ファインダー越しにみている被写体と、センサーに投影されるものは、ほんの僅かだがズレができるらしい。

それがミラーレスになると何の障壁もなくダイレクトにセンサーへ届くため、文字通り見たままの世界が映る。

逆にいえばレンズの透過性能を誤魔化す要素は何もない。そんなシビアな世界でZeissは果てしなくトップクラスを走っている。 特にアンダーで撮影する時の光と影のコントラストは、Zeissならではと、様々な最新レンズを触ってきた経験上はっきりとわかる。

UNTITLED

上品で甘く、主張しすぎないが、確かにそこに存在する何か。

そして極め付けはZeiss Blue。 海や空といえば何でも真っ青にしてしまう最近のスマホやAIリタッチを物ともせず、その独自の世界観であるグレイッシュブルーをただひたすら、何世紀か先、いつか人類が違う惑星へ降り立つことができたならばおそらくそこで見える景色は月が3つあり、空の色はこんな感じなのだろうかなど何かの映画で観たようなシーンをリコールさせる。

UNTITLED

今はもう時代遅れとなったレフ機専用でバーゲンプライスのレンズ群がこのような形で蘇るとは思ってもみなかった。

何気ない日常の風景を意味のあるもに変えるMFのZeiss

UNTITLED

I appreciate it!

 

 

 

最近手ぶれ写真が増えたことについて

ここ数年撮った写真を見返してみると、手ぶれ写真が多いのに気がつく。

それは本当に僅かなズレで、恐らく等倍でみる分にはそれとわからないだろう。

しかし一応長年、ポジフィルムをルーペで覗き込むようなことをしていると、この何ともいえない違和感を覚える。

いわゆる絵が眠たいのだ。

そう、何とも言えずまったりとした、芯のない平面的な、光の散乱が多い、いわゆるヘイズ(Haze)値高めの白濁に似た、解決できない何か。

試しにピクセルピークしてみるとやはり細かくブレている。

シャープかそうでないかは問題ではない。多少合焦がずれていてもブレがなければこのようには感じない。

原因は単純なことで、特に手ぶれ補正のついたレンズを装着した時の撮り方がかなりいい加減になっているためだ。

近年のレンズのほとんどには手ぶれ補正(IS機能)が付いているし、ボディでも中級クラスになると6段から8段近い補正機能が当たり前のように組み込まれている。

単純計算では、例えばフィルム撮影時、横っ腹が痛くなるほど脇を締めてISO400 F2.8 ss1/4で、文字通り息を止めて夕暮れ時のジュネーブを撮影していたのが、6段手ぶれ補正付きのレンズやカメラならなんと1/250で撮影したのと同等となる。これでは緊張感がなくなっても無理はない。

Night in Geneva

息が吸えるのはありがたいが、ついつい構えが疎かになってしまう。 おまけにモニター撮影が多く、ファインダーすら覗かない。

EOS RPやR8程度の重さなら片手で、GRのようにサクサク撮影してしまう。 レンズにはIS機能が付いているが、これは角度ブレに強いだけで、被写体とセンサーとの光軸が安定していることが前提となる。

よってカメラが水平や垂直に、時に回旋運動をしようものなら全く意味がない。言わずもがな、片手でサクッと撮影する動きはまさに上記の悪き例そのものである。

もちろんカメラボディに付いている手ぶれ補正はこれらの問題点すら克服しているように(あくまで商品のアピールポイントとして)記載はされているが、個人的な意見としては、手ぶれ補正はあくまで補正であって、そこには基本的なカメラホールドがあってこそ、ほんのわずか、例えば先ほどの、ss1/4ならば息を止めなければブレてしまう状況下で、息が吸える、といった感じなのではないだろうか。

実際、手ぶれ補正などない時代の写真の方が、ピンがしっかりとしているし、ある種の意気込みのようなものが感じられる。

それなりの緊張感をもって、ファインダーを食い入るように覗き込み、合焦点で本当に息を止めて、脇でシャッターショックを受け止める、それが、撮影するという行為なのかもしれないと、35mmレンズでF11、シャッタースピード1/125で撮影された手ぶれ写真をみて猛暑のおり、薄めのグリーンティーを飲みながら反省する。

 

 

 

 

高嶺の花となった海外旅行?

ふと思い立って海外旅行の航空券を調べていたら、その値段の高さに衝撃を受けた。

2019年にイタリアへ行った時と同じ時期(8月)、同じ経路で調べてみると、おおよその往復料金はなんと40万円。おまけに直行便でもロシア上空を飛べないため片道15時間程度かかる。

ちなみに2019年当時は往復20万円だった。

それでも安くはないが、いち中年サラリーマンが年に1度の贅沢で海外に行くこと、さらにいうならば絶対に減価償却されない経験と体験に20万円という金額はまあ納得はできる。

しかし昨今はどうだろうか。航空券はおよそ倍、現地の物価はかつてより激しく高騰しており、ホテル代、食事代、まあ普通に旅と食事を楽しむような休暇を過ごそうものなら1週間の概算で1人当たり60万はかかるだろう。

先ほどの、貴重な経験という対価で考えるならアリかとも思うが、如何せん小市民の私には熟考と躊躇せざるを得ない金額であることは間違いない。

もちろんオフシーズンなら金額はかなり抑えられるが、会社員の私にはその選択ははじめから不可能である。

東南アジアなど物価の安い地域に行くのならばハイシーズンでもかなり費用を抑えられるだろう。事実、その地域への日本人旅行者が現在かなり増えているらしいが、私にとって旅はその場所へ行きたいから行くのであって安いから行くのではない。

私はもう少しだけ西ヨーロッパをみて回りたい。

旅の目的

まあとにかく、現在日本から海外に旅立つにはそれなりの目的が必要になってきたかなという感じを、周りの旅行好きの友人の話を聞いても、受ける。

具体的には、若い頃のようにただぶらぶら街歩きをするためだけにこの金額は払えない、という意見が多い。

よって、例えばフェルメールの日本未公開絵画をオランダで観たい、とか、ウィーンのシェーンブルン宮殿でマリアントワネットの豪華絢爛な時代を回憶したいとか、マチュピチュで古代宇宙人説に浸りたいとか、そういった明確な目的がない限り、夏はおとなしく那須のお宿で温泉と冷酒で山菜に舌鼓を打つのが吉、という感じである。

しかし何よりも、所得基準が欧米レベルまで上がることを祈るばかりである。

イタリアの想い出

ヴェニスに到着したのは晴天で猛暑が襲う時期だった。

嫌というほど熱を帯びた石畳と上空から照りつける煌々とした太陽で想像していたような優雅な街歩きはできず、体力が尽きぬよう、サンダルが焼き石で溶けぬよう、そしてフィルムがダメにならぬよう早歩きで撮影をしたのを覚えている。

archives - Venice

Rollei35にPortra400を装填してほとんどノーファインダーで速写した。手のひらにすっぽりと収まるサイズとシルバーの鈍い光沢がなぜかこの街に似合っており、持ち歩いているだけで大変楽しかった。

archives - Venice

ポートラの発色は本当に素晴らしい。オールドテッサーの鋭くも彩度低めで柔らかさのある撮像と合わさると、いかにもフィルムらしい、想像力をかき立てる描写となっている。 

archives - Venice

archives - Venice

archives - Venice

archives - Venice

しかし今思えばこの年度は本当にフィルムフォトグラフィーには最後の、良き時代だったのかもしれない。 X線やら何やらで取り扱いには大変苦労したのだが、物質として今フィルムネガが残っていることは何よりも色褪せない確実な想い出である。

archives - Venice

archives - Venice

デジタルと高性能なレンズによる果てしないシャープさも良いが、やはりオールドレンズで撮られたフィルム写真はどこか捨てきれない、それはまるで幼い頃、洋菓子の箱の中に大切にしまっておいた玉虫色のセロファンが放つ純朴な光が、もう今では鍵も錆び付いてしまった心の奥底の扉を精緻(せいち)に投影しているように思われるのである。

 

ライカで撮る意味(ライカQ3へのメッセージ)

先日、ライカQ3がローンチされた。

スペックやデモ機の紹介動画をみる限り、Q2に比べかなりアップデートされているように感じる。

そういえば私がQを手にしたのは2016年で、それが初のデジタルライカだった。恐らく、多くの人がそうであるように散々興奮してあちこち出かけては撮影していた記憶がある。

Tokyo Night

Qは当時、斬新なデザインとコンセプトのカメラで、ライカ社にとっても、どう受け入れられるかわからない一種の賭けのようなものであったらしい。

ところが実際に発売してみると予想外の反響があり、それまでライカ未経験のユーザーを含め、たくさん層から支持される結果となった。

まあ私もその一人である。

Qは決して完璧なカメラではなかった。使用するにつれて様々な不満点が湧いてきた。Qの機能は写真を撮るということについていえばユーザーフレンドリーな仕様ではなく、どちらかといえば不完全さを楽しむような趣味性の高いものだった。

しかしそれらを差し引いてでも魅力的だったのが奇跡のような銘玉ズミルックス28mm F1.7。

開放から徹底的にソフィスティケイティドされた絵は堅固で優雅な立体感を失わず、シャープであり上品な甘さもある。光の受け止め方は野生的であり、やはりそこには何か特別な説得力があるように思われる。 大袈裟にいえば、本当の美に触れる瞬間を楽しめるレンズ、かもしれない。

Kyoto City in Summer

 

Qとの別れ

そんなQを手にしてから数ヶ月の間楽しい時間を過ごしていたのだが、なんの前触れもなく私の体に異変が起きた。急性腰痛(ぎっくり腰)である。

腰椎椎間板症というヘルニアの一歩手前の症状と医師に告げられ、その日以来、腰の痛みから足を引きずるような歩き方になり、行動がかなり制限されるようになってしまった。

生まれて初めて付けるコルセットに違和感を感じながらも仕事に行く毎日。医者からは現時点で改善する方法は何一つ無いといわれ、完治するかも定かでない、もうこのまま一生この状態が続くのかと思うと不安でややノイローゼになっていた。

Reading room

もちろん状態の良い日もあったが、たまの休日に写真でも撮りに行こうと思った矢先、ズキズキと疼く腰痛に断念せざるを得なかったことも多く、悔しさと虚しさで、その頃は毎日どんよりとして落ち込んだ表情だったに違いない。実際、鏡で自分の顔をみるのが嫌だったほどだ。

今思えば『人生にひねくれた男の顔』というタイトルでライカQで肖像画でも撮っておけば良かったと思うが、そんな余裕すらその時にはなかった。

ちなみに車も買い替える羽目になった。それまで乗っていた車の座高がやや低く、乗り降りする際に腰に響くのだ。そもそも車の運転は腰に負担がかかりやすい。それでもう少し車高と座面が高い車に買い替えた。

お金は湯水のように無くなるし、もう何もかもめちゃくちゃな状況であった。

そして、もう写真を撮ることもないだろうというほぼノイローゼのような気持ちでQをはじめその他の機材をも手放した。

A sea of clouds

月日は流れ

あれから7年が経ったが、現在腰痛は完全に改善されている。日々のストレットと慎重な動作の賜物である。ストレッチボールを腸腰筋の前後のトリガーポイントへ当て体重をかけ、常に体の柔軟性を意識している。

 

イカで撮る意味

写真を撮る目的が画像を出力(または現像と印刷)して鑑賞するということならば、正直なところ意味は何もない。

私はライカについて、例えばマニアやアンチなど両極端に位置する思想のどちらにも当てはまらないが、これまで沢山のフィルムライカを扱ってきた経験上、ライカでしか撮れない写真は無いと断言できる。

Sentimental Value

しかし、写真をただの撮像データや印画物としてではなく、形而上の記憶と呼ぶべきものと捉えるなら、ライカとしか共有できない時間は間違いなくある。

事実、ライカで撮った写真を見ていると、当時の記憶が思い出として生々しくも鮮明に蘇る。家族と過ごした時間、一人で佇む街並み、空気、そして、どれをとってもその瞬間だけは何もかもが完璧に輝いており、喜びだけが残っている。

そんな過去の思い出のようなパルスの流れに集中していると、ライカを手にシャッターを切った感触までもが指先へ戻ってくる。

それは確かにそこに存在した

それは凍りつくような寒さと、空気の静(quiet)が共存している朝焼けの湖で、水面をわずかでも揺らさないほど沈黙したシャッター音をF1.4 ss1/8で聴いた感覚、スムーズなハンドリングで重さを感じさせないM型ライカと軽い足取りで桟橋を歩く触感、そんな研ぎ澄まされた鋭敏な感覚を持って世界と対峙した時にのみ起こる強烈な、人生が世界のネガへと焼き付けられる感覚、indestructibility of existence(破壊し得ない存在)の記憶といったとこだろうか。

Let go of yourself

イカは歴史を刻んでいる。間違いなくそこに存在したものの痕跡。

私はもう50歳に近く、最近知人の間でも生命の灯火が突然消えてしまった話をちらほら耳にするようになった。

センチメンタルになるにはあまりにも多くの誕生日を迎え過ぎているのは分かっているが、後何年この世界にいられるのか、そんなことを実感する歳になってきた今、趣味として大切な写真をライカと共に過ごすのも悪くない。

 

もし全ての条件が揃って、幸運にも入手できたら幸せ、だろう。なんて、大好きな紫陽花の季節に願いを込める。

皐月 最後の晩に

 

軽井沢フォトフェスト kff 2023 入選

写真家の野辺地ジョージさんが主催する軽井沢フォトフェストに行ってきた。

私の作品が入選したということももちろんあるが(一応1000以上の応募作品から250作品を選出)、それ以上に最近の写欲の低下へ何か刺激が欲しいと思い、軽井沢まで足を運んだ。

軽井沢駅を降りてすぐの場所にある矢ケ崎公園。天気は素晴らしく、青々とした空に浅間山から立ち上る不規則な雲が偶然できた水彩画のドローウィングのようにユーモラスに浮かんでいる。

ここを含め4つの公園内(諏訪ノ森公園、湯川ふるさと公園上流部、追分公園)にはそれ自体がモニュメントのようなサッカーゴール大のディスプレイが点在しており、入選作品はそこに印刷されている。どの作品をどの位置に配置するか、レイアウトは野辺地さんが行っており、それぞれの公園の持つ歴史、自然、空気に配慮されて慎重に構成されている。

印刷はFujifilmさんで、最高の印刷技術で表現された美しい写真が、もう十分に美しい軽井沢の景色にもっと象徴的な意味を与えているように感じる。ちなみにグランプリ受賞者にはX100Vが贈与された。もう欲しくても手に入らない幻のカメラである。

展示作品は皆素晴らしく、私も少しは写真を勉強した端くれとして率直な感想を述べると、とても趣味レベルとは思えない、何だか人生の重みのようなものを感じた。 ここまでくるともうカメラがどうとか、レンズがどうとか、そんなレベルを超えた次元にあるな、と久々に他人様の作品を観て感動した。

このコンテストは軽井沢で撮られた写真限定のため、応募者のほとんどが軽井沢町在住者で、私はかなり例外的だろう。

堀辰雄文学が大好きで、文学めぐりの旅で立ち寄った軽井沢の写真を1点だけ何気なく応募。そもそも私程度の作品が入選されたこと自体が僥倖だが、フォトフェス自体、今回が第1回目ということで、ビギナーズラックと考えることにしている。

まあ、取り壊される前の万平ホテルのジョンレノンカフェの写真が入賞なんて、私らしくロックでいいじゃないですか。

Quiet Time(kff 2023 award)


このフォトフェストは5月14日まで行われているので近隣の方は是非参加するのをお勧めしたい。

最後に主催者の野辺地ジョージさんについて

カナダ人の父を持つ日米バイリンガルで、以前はニューヨークの投資銀行でトレーダーをやっていたという異色の経歴である。 1987年の映画『ウォール街』に感化された私のような小市民からすると年棒果てしない証券マンをやめて、30歳すぎてから写真を始め、一般的には不安定だと考えられる芸術家への転身は普通できるものではない。

「人生は一度きりだから、自分の好きなことをしたい」という言葉には説得力がある。

非常に誠実そうな方で、キアヌリーブスばりのイケメン顔からは想像できないほど雄大な景色を撮る写真家。軽井沢へは2年前に引っ越したらしい。

氏はまた、X-photographerとしてfujifilmのカメラを愛用しているが、あんな写真が撮れるなら再びfujifilm、か?などと欲が湧く。やはり私は俗物だ。

帰りの東京行き上り新幹線内は4月からの新生活へ向かう人々でごった返していた。

皆期待と不安を胸に新天地に降り立つのだろう。 車窓から差し込む、いつもより強すぎる夕日を浴びながら、ああ私も何か始めなきゃな、などと考えた。

良い刺激が得られたと思う。