Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

フィルム売り場が無くなっていた。

近所の家電量販店のカメラ関連売り場が改装され、見事にフィルム売り場が撤去されていた。それどころかカメラ売り場の規模そのものが縮小、休日だというのに客は少なく閑散としている。

カメラが売れない時代

今更始まった訳ではないが、身近で起こるとやはり寂しい。

いつも現像出しでお世話になっていた初老の店員さんを見つけ話を聞いてみた。そもそもフィルムの入手が困難で、さらに円安や物資減少の影響で価格が高騰。若い世代を中心にレトロブームが起きてはいたが供給を刺激するほどではなく、ここ2年くらいで環境は劇的に変化したらしい。まあ納得。

オンラインストアならまだ買えますよ!」と最後は営業スマイルを忘れない。この人もきっと寂しがってるんだろうな。

 

on entend vaguement...

私は70年代生まれだが、ライカなどのハイエンドは別として、どこの家庭でも1台はカメラがあり、普通にフィルム写真を撮っていた。 街にも現像からプリントまで引き受ける店舗がたくさんあり、クリーニング屋さんや酒屋さんが現像機を置いて副業が成り立つほど需要があった。

そもそも貯金の金利が4%前後の時代(今は0.001%)、市井の人々にとってフィルム撮影のコストなど気にもとめなかっただろう。ほんといい時代。

しかし元々カメラは富裕層の趣味。幕末の徳川慶喜をはじめとした華の貴族文化の象徴であった。

現在、デジカメは除き、フィルム撮影はその時代に戻りつつあるような気がする。

ワンショット300円。大義ある写真が撮れれば、と思う。

 

鎌倉、東慶寺にて

昨年のお話。

尊敬する小林秀雄先生が眠る東慶寺へお墓参りを兼ねて訪問した。 東京から鎌倉へ。県は違えどそこは関東圏、電車で1時間もかからない。しかし不思議なことに駅を降りると空気が違う。 東から運ばれてくる潮を含んだやや湿った風が心地良くて、なんだか笑みが溢れてきてカバンに入れた年代物のマキナ67を意味もなく触ってみたりする。

やはり外出は良い。 秋の休日。

海岸沿いの道ではサーフボードを担ぎ真っ黒に日焼けした人々と何度もすれ違った。

End of the Summer

太陽の照りつける浜辺を散歩しているとふと東松照明氏の写真集『太陽の鉛筆』を思い出した。沖縄に暮らす人々を素直な描写で紙面に焼き付けている。カメラは確かニコンF。あれよという間にプレミア価格の付いた写真集。

新編 太陽の鉛筆

新編 太陽の鉛筆

Amazon

東慶寺に着いたのは正午すぎで、偶然なのかほとんど人がいなかった。

庭師に先生のお墓の場所を尋ね、銀杏を踏まぬように慎重に歩を進める。 石階段は見事なコケで覆われており、梅や桜の木々の間から滑り込むような光のベールがそれらに反射してあまりに美しく、しばらく見惚れていた。

小林先生のお墓は大変素朴なもので、苔に囲まれた敷地に小さな五輪塔が置かれている。先生は書籍の中で”美しさとは複雑なものではなく、もっと分かりやすく単純なものの中にある”と説かれていた。先生の最後の形をみて、やはりそう思わずにはいられなかった。

その後少し奥まで足を伸ばした。苔と木漏れ日に覆われた墓地。美と静寂の中、写真を撮ることに意味を見出せなかったが、今度いつ来られるかわからないので、墓跡を避けるようにして1枚だけ、小川の水を手で優しく汲むように、森林の木漏れ日をフィルムでそっとすくった。

One quiet day memorial

今でもこの写真を見るたびに静けさや苔の匂いを思い出す。なんの変哲もない写真だが、私にとっては大切な写真である。

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この記事を書こうと思ったのは、つい数日前に東慶寺のHPを覗くと、寺院敷地内での撮影行為は一切禁止にすると住職からの思いが綴られていた。

文章を読むと散々悩んだことがよくわかる。苦渋の決断だろう。マナーを知らない人間によって増える禁止事項。大変悲しいものである。 私も撮影側の人間なので偉そうなことは言えないが、やはり撮影枚数が決まっているフィルムは大変素晴らしいのではないか、と改めて思った。

さらに最近の異常な高騰ぶりで頻繁には撮れないため、皆が中判で12枚のみ、と決めていれば大切な場所が汚されることもないのかも。

フィルム、素晴らしいではないか。などと思いつつ、本当にフィルム、もっと安くならないものかとため息をつきながらダーマトグラフでネガに印を付ける。

 

続:フィルムの終焉

富士フイルムの160NSディスコンのニュースに心が痛んだ。

ニュートラルなカラーで使い勝手がよく、かなり安価。これから中判フィルムを楽しむ方にも、気軽に手を出しやすい良いフィルムだった。

まだ市場に在庫は(恐らく潤沢に)あるので明日から使えないという話ではないのだが、この、いわば場末でひっそり消えゆく雰囲気に気が滅入る。

Before  the rainy season

Morning Flowers

この調子で行くと先に終焉を迎えるのは120サイズだろうか。135はなんとなく残りそうな気がしているが、紙やプラ廃止のSDGsが声高に叫ばれる中、なんともいえない状況だ。

Road Trip #1

イカ社が全ての面倒を見てくれる可能性もある。フィルム製造会社の買収による一貫生産体制の確立など。それこそフィルム文化のSDGs。M6やMP0.72、市場に溢れるハイプレミアム価格の付いたフィルムカメラを購入したユーザーへの責任、などと大袈裟にいうわけではないが、ガソリンの無くなったガソリン車を眺めていられるほどコレクター気質のない私のような凡人には閑却できない問題である。

Sentimental Value

先日期限切れ間近なE100を借り物のマキナにつめて鎌倉海岸を撮影してきた。出来上がったポジをみてやはり良いなと思う。これがこの先消えてしまうのは残念だなと思う。

しかし時代の変化と社会の価値観の変容に抗うつもりはない。

 

『...身を捨ててこそ身をも助けめ』(己を捨てることが己を救う道)西行

We're here

 

さて、フィルムに一番近いX-proでも検討してみようかな。来年には素晴らしい23mm F1.4が出るとのことなので。

Hazel memories

 

 

休暇と写真と

悪天候と自粛が重なってせっかくの休暇なのに外出が全くできない。 良い機会なのでこれを定年退職後(まだまだ先だけど)のシュミレーションなんだと思うことにしてみた。

朝はストレッチと軽い読書。日中はアイスコーヒーを飲みながら映画や音楽鑑賞。日暮れには近所の散歩。たまに庭の雑草抜き。 それから妻と一緒に料理を作る。暑さの和らいだ夕暮れの明かりで、オリーブオイルで焼き上げたチキンに塩と胡椒とマスタードをつけて食べる。チーズとトマトのサラダにレモンを絞る。あまりお酒は飲まないが、休日くらいワインが少しあってもいいだろう。 労働から解放された気ままな暮らし。なんて、少し贅沢な夢。

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Summilux 50mm 2nd

数日前、ふと思い立って久々にカメラを担いで近所の撮影に向かった。まだ朝陽前の比較的涼しい時間で光も柔らかい。 ずいぶん使っていない露出計、セコニックのL-558を取り出してスポット測光。普段は適当に露出オーバーでネガに焼き付けている行為を見直してみる。

シャドウの立ち上がりをどうするのか、完全に落とすのか、少しディテールを残すのかなどなどゾーンシステムの再考。それらに意識が向くと室内でも沢山のトーンがあることに気づく。まずは練習がてら一枚。

Pause café

ひと気のない建造物に足を踏み入れるとなんだかそわそわする。感覚がやたらと鋭敏になる。まだ汚されていない朝の湿った空と遠くで鳴くセミの声、コンクリートの壁で囲まれたむき出しの通路に足を踏み入れると冷たい空気に反響する自分の足音が聞こえる。それらが求心性神経を通じて脳内に神経パルスを送り込む。 なんだか良くないことをしているのではないか、そんな気がしてくる。観念論者にいわせると "私がいなければ存在しない世界" の静寂を乱している罪悪感。そっとシャッターを切る。

To the Gym Storage

自宅に戻りロックアイスを入れたグラスにコーヒーを注ぎアーモンドミルクを入れて飲む。もうほとんど日は昇りきっており、小窓に吊るされた橙色のインド綿の日除越しに、豊富な光はキッチン内を金色に染めている。

Kitchen

薬品は26度で室内温度とほぼ一致。ボトルに保冷剤を巻いて20度まで下げる。いつもの攪拌。何度も行っている作業だが、今日にあってはこうしていられることに幸せを感じる。感謝。

仕上がりは満足。何よりネガの濃度が美しい。やはりどんな時でも露出は疎かにできないな、などと自己満足の笑みを浮かべながらネガをファイルに閉じる。

多くは求めない。ただ自分が美しいと思えるその瞬間を切り取ることができれば、それを続けていければ私は幸せである。

フィルムは存続すると信じる理由

謹賀新年。初号だがフィルムユーザーにとってはあまり喜ばしい話ではない。鮮やかな青みがかった色が特徴のFUJI PRO400Hが販売終了とのアナウンスがなされた。

このフィルムは国内で買えるものとしては大変安価で、ポートラの代わりとして長らく愛用してきた。だからと言って今回のアナウンスが私のフィルムライフにとって致命傷となるわけでは無いのだが、なんだかとても、まるでフィルムの終焉を暗示するかのように、切なく寂しいニュースである。

Sunny, sunny

個人的にはフィルムは今後も何らかの形で製造され続けると考えている。少なくとも後10年くらいは国内外で手に入らないという状況にはならないだろう。今回のPRO400Hのように原材料の調達が問題なら、これは今後違う代替案がみつかる可能性もあり、そもそも再び材料の調達が可能となり再販されるかもしれない。

そして何よりフィルム写真を愛するユーザーが世界中に何百万人(ひょっとしたら何千万かも)もいるという事実。年齢層も高く、個人資産もおそらく潤沢。フィルムカメラの中古市場規模は小さくはない。

Sentimental Value 

しかし製造コストは間違いなく上がり、フィルム写真はますます "金のかかる趣味" となることは避けようがないように思われる。

参考までに、私はフィルムのコスト(ネガやポジにするまで)を販売価格の1.5倍〜2.0倍で計算している。店に出そうが自家現像しようが同じである。1本1000円のフィルムなら最終的には1500円程度になる。

Road Trip #3

それでも好きなら、それが何か心の支えになるならば、"精神的安定用備品"として経費計上すればよい。

フィルム、いつまでも傍にいて欲しい。

2020年最後の東京散策

東京散策に出かけた。といっても大それた事ではなく、ローライコードを鞄に入れて上野、根津、谷中あたりをブラブラ。撮るものがなければそれでいい。およそ3ヶ月ぶりである。

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Fujipro400H / 上野

人混みを避けるために本郷の裏道を歩く。休日の東大周辺は静まり返っており、それが心地良い。 正午近くになるとさすがに人が増えてきた。昼食に適当なレストランを探すが、なんだか面倒になってきたので途中駅で買ったチョコバーをかじって休憩。これでいい。

Nostalgic House(Japan)

天気も良く、撮影は順調だったがカメラを構えるたびに通行人にじろじろ見られ、ちびっ子達は遊びをやめてこちらを訝(いぶか)しげに見る始末。 そのため気に入った被写体を見つけても立ち止まらずに、一旦通り過ぎてから絞りとシャッタースピードを変えつつ、人気の無くなったところで再び戻ってから撮る。露出計を使う暇もない。

Tokyo Street

ローライコードをはじめとして、中判カメラは基本的に速写性が必要なストリートフォトに向く機材ではない。さらに人物モデルなど、被写体が決まっているなら、お辞儀をする姿が相手に緊張感を与えなくて良いという意見があるが、ストリートでは逆にその姿がかなり浮いてしまう。

気にしたら負け、だが、観光客の姿が激減している今日では一挙一動が目立つので少し気をつかう。 といってもやはり撮影散歩は楽しい。ハッとする出会いがあるし、ウォーキングは心身の健康にも良い。

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ilford HP5+ / 根津神社

今年使用フィルムは35mm 8本、ブローニー 15本

来年はもう少し楽しめる、かな。

良いお年をお過ごし下さい。

 

ILFORD 白黒フィルム HP5 PLUS400 35mm 36枚撮り 1574577
 

これからの写真(カメラ)との付き合い方

写真を撮らなくなって早数ヶ月が経とうとしている。

季節の変わり目と外出自粛のムードが徐々に写欲を蝕み、いつしかその状態に慣れてしまった。

数ヶ月前、退職する同僚の写真を撮ったきり棚に置きっぱなしのローライコード。部署のメンバーで集まってセルフタイマーで撮影をした。自宅に戻ってから久々のモノクロ現像。ネガを切り分けて、プリントした写真とともに餞別にした。寂しいけど、楽しかった。

その後もカラーフィルムをつめて色々撮ってみたのだけれど気が乗らない。フィルムカウンターはずっと前から11を指しており、最後の1枚を残して時は止まったままだ。

 

カメラを持たずにいても、日常の美しい瞬間には何度も出会う。その現実をそのまま肌で感じてみる。匂い、温度、光、空気の触れる感覚。

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Elmarit 28mm / kodak portra 400

チャンスがあれば慌ただしくシャッターを切っていた頃と違って、リラックスしている自分がいる。 焦る必要はない。写真に撮らなくても、充足感は味わえるではないか。

そんな日々を過ごしていると、また無性に写真が、カメラが恋しくなる。

この点、フィルムカメラは良い。その場で撮像を確認できないため、"撮っていない気分"を、少なくとも現像までの間味わうことができる。もちろん実際に撮れていないこともあるが、正直なところ、撮れていてもいなくても良い。その瞬間に訪れる素晴らしい情景は胸に収めてある。 

今の私にはこのペースがちょうどいい。

One day in summer

さてと、再びフィルムライカが欲しくなってきた(M6は従兄弟に譲ってしまったので)。

イカ貯金でも始めようか。